TIP「正しい薬と治療の情報」2003.5月号予定論文の速報
TIP誌で5月号記事として掲載予定のSARSに関する最新の谷田論文を、その緊急性と重要性を考え、著者と、TIP誌編集部の了解を得て『薬のチェックは命のチェック』インターネット速報版No17としてお届けします。
「中国広東省と香港で原因不明の熱病が流行し死者も出て現地は混乱している」というニュースが2003年2月に複数の主要医学週刊誌に掲載された(1)。当時、香港ではトリ型インフルエンザが再び発生した時期と重なり、新型インフルエンザ、あるいは「炭疽テロ」でないかと騒がれた。ほどなく、それがハノイに飛び火し、SARS(severe acute respiratory syndrome、重症急性呼吸器症候群)として、東アジアを中心に世界に流行するようになった。
世界保健機関(WHO)のまとめでは、5月10日段階で7296名の患者、うち526名死亡となっている(2)。9日付け日本は、「疑い例」46名、「臨床診断例」16名である(3)。ところが、「確定例」はないとして、「日本ではSARS発症なし」が公式発表となっている。このトリックは、日本独自の症例定義による(表1)。
WHO | アメリカ | 厚生労働省 | 本稿 |
---|---|---|---|
suspected case | suspected case | 疑い例 | 疑い例 |
probable case | probable case | 可能性例 | 臨床診断例 |
− | − | 確定例 | − |
厚生労働省訳の「可能性例」は誤訳である。意味するところは、「臨床診断例」である。確定診断法が確立されていないので、除外診断による「臨床診断」が報告の基準となる。したがって、本稿では「可能性例」という言葉は使用しない。ちなみに、アメリカは「疑い例」も含めてWHOに報告している。
日本のSARSの診断基準は「臨床診断例」を「可能性例」とする曲訳はあるが、WHOと同じである(表2)(2-b)。そして、そのWHO基準に基づき、「疑い例」も「臨床診断例」も届け出る。また、「疑い例」が「臨床診断例」に進行した場合もその旨を届け出る。ただし、「疑い例」が「臨床診断例に変わった場合でも、(1)他の診断によって病状が説明できるもの、(2)標準の抗生剤治療で改善する等、3日以内に病状の改善を医師が認めたもの、は除くという。後述するように多くのSARS患者は回復する。したがって、回復したからといって、「SARSでない」とするのは不適切であり、そのような行為は情報隠しを意味する。
このような日本の情報隠蔽は、世界のSARS対策を台無しにしかねないため、「中国よりたちが悪い」とWHOから非難された(4)。頼りとすべき各報道機関も厚生労働省発表を報道するのみである。厚生労働省は対策の一環としてSARSを感染症新法に基づく「新感染症」に指定した。しかし、対策の具体化を任された都道府県は情報が隠蔽されたままに対応せざるをえない。一般人にとっても、事実を隠されたままのため、不安と怖れが先行している。今回のSARSは、歴史的に続いてきた感染症行政の問題と「感染症新法」の欠陥、さらには“大本営発表”のみを報道する日本のマスコミの体質を露呈させた。ここにSARSについてまとめ、それらの問題を明らかにしたい。なお、文献として現れているのは少なく、WHOとCDC(米国疾病予防センター)情報によるものが多い。引用の特定のない情報の詳細は、それらのホームページにあたってほしい(2,5)。
SARSが出現したのは2002年11月、中国の広東省と考えられている。4月には原因が新型コロナウイルスと断定され、SARSコロナウイルス(SARS-CoV)と命名された。ヒトや動物に感染する既知の3型のコロナウイルスとは異なる新型であり、早くも全遺伝子配列が判明している(6)。なお、動物用にはコロナウイルスワクチンがある。変異は少ないのでワクチン作成が可能と考えられる。
臨床像を、WHO情報を主としてまとめると、多くの患者は25〜70歳の健康成人である。15歳以下にはわずかしか報告されておらず、感染しても軽症におわる(7)。潜伏期は通常2〜7日だが、10日まである。前駆症状は発熱(38℃以上)が一般的で、しばしばより高くなる。悪寒・戦慄を伴い、頭痛や倦怠感、筋肉痛も合併することがある。発症すると、軽度の呼吸器症状を伴う。発疹や神経症状はない。消化器症状はないのが特徴だが、前駆症状の発熱時に下痢を伴うことがある。ただし、理由は不明だが、香港のマンションでの群発例には下痢が多かった。
発症3〜7日後に、乾性咳または呼吸困難などの下気道症状が出てくる。重篤になると低酸素血症を伴い、10〜20%の患者に人工呼吸が必要となる。現行のWHOの「疑い例」と「臨床診断例」に合致する患者の死亡率は5%前後である。高齢患者が増すに従い、死亡率は上昇している(8)。その予後不良因子には、単変量解析では高年齢、男性、好中球数増多、高CK値、高LDH値、低Na値が挙げられた(9)。このうちで独立予後不良因子は、高年齢と好中球数増多、高LDH血症である。SARSはウイルス疾患なので白血球が下がるのが特徴だが、予後不良の場合の好中球数増多は二次感染の徴侯と考えられる。
病初期には、末梢血リンパ球数が減少し、全白血球数は正常かわずかに減少する。呼吸器症状の極期には、半数の患者に白血球低下と血小板減少症、あるいは血小板低下(50,000〜150,000/μl)がみられる。また、呼吸器症状発症初期には、CK上昇(〜3000 IU/L)やトランスアミナーゼ上昇(基準値の2〜6倍まで)がみられる。半数以上の患者で腎機能は正常である。
胸部レントゲン線写真は、発熱の前駆症状期、あるいは全経過を通して正常のことがある。しかし、かなりの患者で、呼吸器症状発症期には限局した浸潤陰影から広範囲に散在する間質浸潤像を呈してくる。初期像は、肺野にスリガラス様陰影、限局性から散在性の硬化像の出現で、それらが片側の末梢肺野に現れる。それらは下肺野に生じ、ときに上肺野にも現れる。胸水はない。重症度に比例して、レントゲン線像も悪化して、約7〜10日後には両側に散在性に広まっていく。粟粒陰影のみで急速に悪化したり、急にビマン性に陰影が現れる例もある。回復する例では、2週間以内にそれらの陰影が消失していく。初期の病変をとらえるには、CTの方が単純レントゲン線検査より鋭敏である。
全遺伝子も解析されており、特異的診断法もある。それら検査法の特異性や感受性について世界中のWHO関連研究所で検討中であり、有用性もこれから明らかになっていくと思われる。現時点の評価に基づき、5月1日には症例定義も変更された。
それらの現状を簡単に紹介すると、各種材料からPCR法により、SARS-CoVの断片を検出できる。問題は、特異性は高いものの、感度が低いことである。したがって、この方法で陰性でもSARSを否定することはできない(表2)。血中IgMとIgG抗体の出現は、他の感染症と同様である。早期には抗体は現れず、IgG抗体は回復した後も検出される。検出法には、ELISA (Enzyme Linked ImmunoSorbant Assay)法、IFA (Immunofluorescence Assay)法がある。抗体陽性はSARS-CoV感染を意味する。抗体陽性転化とは4倍の上昇を言い、最近の感染を示す。発症後21日を経ても陰性なら、SARS-CoV感染はなかったと判断できる。
細胞培養もコロナウイルス同様にできる。SARS患者の各種材料から培養細胞に接種してウイルスを検出できる。方法は面倒だが、生きたウイルスを証明するただ一つの方法である。陽性はSARS-CoVの存在を示すが、陰性でもSARSを否定できない。
これらを扱う際の生物学的安全レベル(BSL)は、WHO(CDC)によると、日常的な血清や血液の検査、不活化された材料(固定標本など)、細菌・真菌培養材料、適切に梱包された輸送用容器などはBSL-2(対象は自家感染、経口・経粘膜感染する病原体)で扱える。ただし、エアロゾールを発生させないように注意して、接触と飛沫を防御できる対策をとることが必要である。ドラフト内で操作するなら、それらの防御策は必要ない。遠沈などは閉鎖機器にて行い、生じたサンプルの操作はドラフト内で行う。業務終了後は通常の消毒法で適切に消毒すれば十分である。なお、ウイルスを増殖させたりするような操作はBSL-3扱い(対象は空気感染の可能性があり致命的になることがある病原体)とする。厚生労働省は一律にBSL-3扱いとしたので、ドラフトや独立空調の検査室がない一般病院ではSARS関連の試料を扱えなかった。後に、5月8日付けでWHOと同様の扱いに変更した。
SARS治療には異型肺炎用の様々な抗生物質が使用されたが有効性はなかった。また、オセルタミビルやリバビリンなどの抗ウイルス剤も使用されたが、有効性は確認できなかった。とくに、リバビリンはRNAウイルスにも有効なため、新型コロナウイルスと判明してからも使用されている。
ステロイドも(特別な根拠なく)経口あるいは静注で単独、あるいはリバビリンや抗生物質と併用されている。大量ステロイド療法やパルス療法も、香港を中心に盛んに行われて、対照のない成績ながら「明らかに有効」という報告もみられる(10)。しかし、SARSでは白血球増多が独立予後不良因子とわかっており、ステロイドによる白血球増加であるかもしれないし、細菌感染の合併も考えられる。そのような重症感染症にステロイドの有効性は疑問視され、とくにパルス療法は死亡を増加させる原因と判明している(11)。香港でSARSによる死亡率が高いのは、これらリバビリンとステロイドの害反応によるとの指摘もある。SARSに対するこれら薬剤の有用性について慎重なWHOの姿勢を評価したい。
SARS-CoVに当てはまるか厳密には不明だが、コロナウイルス一般にいえることより感染防御の面で配慮できることがある。感染経路は、飛沫感染と直接・間接感染が主である。中でも、病院内では飛沫感染が主と判明した(12)。したがって、飛沫感染・接触感染防御策を採れば、通常は感染を防止できると考えられる。間接感染媒介体あるいは環境でのコロナウイルスの生存期間は数時間である。SARS-CoVは、48時間は環境で感染性を維持するという報告もあるが、患者のケアにあたって飛沫感染予防(特定状況では空気感染予防も必要)と手洗いを必要な期間適切に励行すれば、感染は制御できると考えられる。
香港やハノイで感染が広まった理由に、患者の症状を和らげるためや診断用気管支肺胞洗浄液を得るためにネブライザーを使用したことが推測されている。本症は喀痰が少ないので気管支肺胞液をとるためにネブライザーを使い、それが飛沫核を形成して空気感染の元となり、医療従事者への感染をさらに広げたとされる。したがって、病院内感染予防にN95マスクも大切だが、エアロゾールを発生させる処置は可能な限り避けることが重要である。それ以外の通常状況下での空気感染に関しては、航空機内で空気感染がないことや香港で空気感染が疑われた群発例は排泄物が原因で空気感染ではないとわかったことより否定的である。
香港の経験から不顕性感染者も感染源となると推測される。しかし、顕症患者が多いことより、接触者検診を十分にすればそれらも追跡可能と考えられる。以上より、SARS制御には患者の診療と管理とともに、接触者の監視と検診が最も重要とわかる。現時点で適切と考えられる防御法について、WHOとCDC情報に基づき次項にまとめる。
SARSの疑いある患者が来院した場合は、直ちに患者にマスクを着用させ一般患者とは別の区域に誘導する。職員は手袋、N95マスク、ゴーグルまたはフェイスシールドを着用してケアにあたる。患者あるいは患者の汚染部位に接触する前後には手洗いする。
可能であれば、「疑い例」と「臨床診断例」は別の区域に収容する。使用手袋とか聴診器、その他の診断機器は感染性を有する。身近なところに消毒剤をおいてこまめに消毒する。
入院時は隔離するか、「疑い例」あるいは「臨床診断例」を同室とする。検査材料はマニュアルに従い採取して、異型肺炎を含む他の既知の肺炎を除外する。診断室用には前述の項目を含む一般的検査を行う。なお、ペア血清をとることは、後にSARSが否定されてもSARS理解のうえで貴重となるので非常に重要である。なお、入院時には異型肺炎を含む市中肺炎をカバーする抗生物質を用いる。
検査では、気管支拡張剤投与や呼吸理学療法、気管支鏡検査、上部消化管内視鏡検査、他、気道に侵襲を加えエアロゾールを発生する操作には最大限の注意を払う。可能な限りそれらを施行しないことが必要であり、必要となったら隔離施設、手袋、ゴーグルまたはフェイスシールド、N95マスク、ガウンなどの適切な空気感染防御策を講じなければならない。
接触者とは、「疑い例」あるいは「臨床診断例」に暴露され、SARSを発症する大きな危険性のある者を指す。現時点で危険性の高い暴露として知られているのは、患者をケアした者、同居する者、「疑い例」や「臨床診断例」患者の気道排泄物・体液・尿や糞便などの排泄物との接触である。
「臨床診断例」と接触した者には、初期症状は熱が主であることなどの臨床像、伝播形式などの情報を提供する。そして、10日間の能動的観察下、すなわち接触者は保健当局により訪問または電話で毎日の状況を観察されるとともに、自発的に自宅に留まるよう勧められる。体温は毎日測定し記録する。何らかの症状があれば、接触者は近くの適当な医療施設で予め知らせたうえで診察を受ける。
「疑い例」と接触した者には、少なくとも次の経過観察が必要と考えられる。臨床像、伝播形式などの情報を提供する。10日間は受動的観察下、すなわち何らかの症状があれば接触者は電話で保健当局に通報するように説明する。接触者は普段の生活を自由におくってよい。なお、ほとんどの国の保健当局は個々の事情に基づいて危険性の評価をしたいと考え、「疑い例」との接触者の扱いについて指針に追加策を講じている。
この接触者の扱いに日本は混乱している。5月6日付けの日本医師会感染症危機管理対策室発で「診察・処置を行った職員は接触後10日間、出勤停止として、自宅待機させる」という指示を出した。この対応指針は、感染防御策を講じての接触と無防備な接触を区別できない誤解から生じた。その指針どおりでは、数日で病院の職員がいなくなる。病院職員には、接触状況に応じて上記の「受動的観察」または「能動的観察」を行うのが適切である。
観察の解除には、検査の結果、「疑い例」や「臨床診断例」がSARSから除外されたなら、接触者の経過観察も中止してよい。
報道によると、三重県長島町教育委員会は、香港から転入予定の生徒に安全確認を求めたという。坂口厚生労働相は4月8日に「過剰反応」と、町教委の対応に疑問を示した。しかし、その後も横浜市教育委員会が香港や中国などから転入予定の生徒に対して、帰国から10日間の自宅待機をするよう求めたという報道があった。
これらの教委の対応は、WHOやCDCの対応指針にない行為である。このような根拠のない行為は人権侵害であり、それが横行するのも日本の現実である。ただし、SARS感染が事実なら、他者を害する危険性が高いことを意味する。したがって、患者が回復するまで行動を制限したりして、他者への接触を抑止するのが適切である。
WHO西太平洋地域事務局(フィリピン・マニラ)の尾身茂事務局長が4月4日、日本医学会総会でSARSについて緊急報告する中で、「広東省では昨年11月から流行していたが、中国政府から報告はなかった」と中国の情報隠しを非難した。尾身氏は報告後、「飛沫感染以外の感染経路も考えられ、患者の隔離態勢が整った後も感染者が増えているなど、まだ予断を許さない。加盟国と協力して終息に向け努力する」と話したという。福田官房長官も4月21日の記者会見で「世界保健機関(WHO)の基準について、中国政府に慎重に取り扱っていただきたい。そうでないと安心して旅行もできない」と苦言を呈した。また、坂口厚生労働相も22日の閣議後の記者会見で「すべての情報を明らかにすべきだ。大国として責任がある」とした。
皮肉なことに、日本政府が感染症情報センターの集計をWHOに報告したのは4月11日、尾身氏が中国の情報開示が遅いと非難した1週間後である。それも、日本独自の「確定例」という基準に基づいた報告で、世界的な「臨床診断」に基づいた発生数ではない。SARSは当初の流行を中国当局が隠したことが問題を大きくした要因とされており、日本の対応は中国より悪質である。
「厚生労働省の隠蔽がばれた」という報道が4月11日付けのWall Street Journalに掲載されていたという(4)。WHO当局者は中国の対応を批判する記事の後半部分で、日本もWHOへ隠蔽していたと厚生労働省のやり方を批判した。すなわち、「我々にとって情報の入手は必要不可欠な大事だ。どこの国で病気が起こっているのを知らなければWHOの資源をどこに送るべきか判断できない。WHOは世界的にウイルスがいかに広がっていくかを監視して政策決定する機関なのだから情報を与えない(中国より後になってWHOに報告した)日本は無責任だ」と、日本の隠蔽を批判したという。
記事の中には、厚生労働省のヨシオカ・アキオ氏の「日本は独自の方法で報告してきた。日本では確定例だけを報告する」というコメントも入っているという。この時点で診断を確定する方法がなかったのがSARSである。厚生労働省の言明は、「日本の医学専門家が医学を理解できないことを世界に公言した」ことを意味する。このインターネットサイトが「日本の信用を大きく傷付けるもの」とコメントしたのも当然である。ちなみに、WHOが日本の現状を察知するに至ったのは背景がある(表3)。
4月7日時点の感染症情報センターのSARS「疑い例」と「臨床診断例」報告数を紹介した。日本では「回復するとSARSでない」という勝手な基準を作って、WHO基準にあっていても「患者ではない」として、これだけのSARSが発生しているのにそれを報告していない。そのため、SARS患者が適正に経過観察されていない可能性がある。現在、中国が情報を隠したとして非難されているが、日本の対応をどう思うか? このような日本の厚生労働省の隠蔽が感染防止の観点から世界に大きな災いを起こすのではないかと心配している。WHOはすべからく、日本の厚生労働省にWHOあるいは世界基準に基づいて患者数を報告するように強制した方がいい。 |
通報したのは4月7日なのでWHOの対応は早かった。
SARSは感染性も強く重症化するというので、感染症新法に基づき「新感染症」に指定された。これで、ペストやウイルス性出血熱などの1類感染症と同様の扱いを受けることになる。具体的には、「疑い例」も「臨床診断例」も1類感染症指定病院で診療する。陰圧空調部屋などの特殊な病室でなければ扱ってはならない。そのため、準備できてなかった都道府県はパニックに陥った。実際には、WHOやCDCの指針にあるように、SARSは飛沫感染と接触感染を防御できれば制御可能と考えられる。空気感染は特殊な診療状況下で生じるので対応可能である。しかし、法律で定めてしまったために、このような柔軟な対応はとれない。
このような事態は予想されたことである。「感染症新法」をつくる際にも、それぞれの感染症に応じた柔軟な対応がとれる法律にすべきと感染症学会から意見があった(13)。しかし、厚生労働省とその専門部会は応じることなく、画一的な法律を押し通した経緯がある(14)。その問題がSARSの対策にあたり吹き出してきた。現実には、厚生労働省自らが「感染症新法」を無視して、一般病院もSARSに対応するよう強要している。その結果、無理に無理を重ねることとなり、また厚生労働省の情報隠しもあり、現場は対応に苦慮せざるをえない。
厚生労働省「厚生科学審議会感染症部会」とヨシオカ・アキオ氏らが、日本独自の「確定例」という基準を作って、「SARSだがSARSでない」としたために日本のSARS対策が不合理となった。かつて、エイズに関して審議委員たちが日本独自の基準を作り、初患者発生を隠したことがある。それが血液製剤によるエイズ問題への対応を誤らせた大きな要因だった。なぜ、日本の“感染症専門家”たちがこのようなことを繰り返すのかは理解できない。彼らは、最新のSARS症例定義に関しても、重要な部分を変更してしまった(表2)。
彼らは、4月7日、審議概要を5項目にまとめた中で、「手洗い、うがいの励行等の予防策についても併せて実施することが重要である」と締めくくったという(4月9日報道)。うがいには、理論的にもデータ的にも急性ウイルス感染に対する予防効果はない。彼らの医学レベルを窺い知ることのできる例である。
SARSの患者数は、誰でもアクセス可能な感染症情報センターのホームページに掲載されている(3)。それにもかかわらず、日本のマスコミは厚生労働省発表の「患者ゼロ」を言い続ける。WHOから報告を強制された事情もWall Street Journal報道だから、知らないはずないと思われる。しかし、「WHOが届出基準の変更を各国に通知した」などという厚生労働省の取り繕いを一斉に報道するだけである。また、4月3日に突然に「旅行制限」を一斉に報道し始めた。これも、WHOやCDCがずいぶん前から対応している。いずれについても、政府の“大本営”発表をまって報道したと思われる。
このようなマスコミの姿勢の根元に「記者クラブ」の存在がある。官僚とのもたれあい慣れあいの談合体質が、事実を伝えるというマスコミの本来の任務を放棄させる。「記者クラブ」がいかに日本社会を害しているかは、たびたび識者や外国記者らが取り上げている。しかし、日本の報道各社は改めようとしない。この日本マスコミの姿勢が、厚生労働省の情報隠蔽に手を貸し、ひいては人々が適切な対応をとれなくさせている。
その一方では、情報が明らかになると、殺到して「ハゲタカ」のような取材攻勢をとる。最近では脳死・臓器移植に関して、プライバシー被害が生じた例がある。マスコミの対応を恐れる厚生労働省が情報を隠す理由も理解できる。
アメリカはSARSに関する大統領令で「命令は公衆衛生の脅威になったり自発的に応じるのを拒否した場合にのみ強制命令となりうる」としている。オーストラリアのある州政府は、SARSを危険度の高い伝染病に指定し、感染が疑われる患者を隔離する権限を保健当局者に与えた。シンガポールは、新型肺炎SARSに感染した疑いのある隔離患者が規則に違反して外出した場合は収監すると発表し、SARSが発生した市場に通じる道は封鎖された。香港や中国では、感染病院や地域を閉鎖している。
SARS感染拡大防止には、WHOやCDCの方針にあるように、「自主的に」が原則だが、状況に応じて自宅待機などに強制力が必要となる。患者の移動によって他者被害が起こりうるなら、原因となりうる個人に制限を加えない方が人権侵害である。残念ながら、このような適切な行動制限などを人権侵害ととらえる風潮が日本社会にある。これは「ミソ」と「クソ」を区別できない理解不足から生じる。しかしながら、行政が情報を隠蔽したままなので、人々は「『ミソ』と『クソ』を区別できない」という事情もある。
情報を正しく理解できれば、自宅待機を命じられた生徒については、症状がなかったり身近な人にSARS患者がいないなら制限の必要はないことがわかる。したがって、そのような生徒に制限を加えるのは人権侵害である。一方では、プライバシー保護と称して、SARS患者に接触した可能性があっても経過も観察しないという不適切な対応をとる。これは、逆の意味から人権侵害である。医科学への理解不足から、国民は二重の人権侵害を受ける。
SARSについて、現在は日本に患者がいることだけは情報として得られる(3)。既に発生していることを念頭におけば、WHOやCDCに準拠した対策で対応可能である。詳しい情報が隠されたままなので現場の対応は限られてしまうが、病院内感染に対する警戒を怠らないことが大切である。
今回のSARS騒動には、今まで語り尽くされてきた観のある日本の専門家の知的レベル、官僚の不始末、マスコミの問題、人権への無神経さなどが凝縮している。それらは不合理な「感染症新法」の制定として現れた(15)。その論文では、らい予防法改正の問題を指摘した中で、「当時の医学専門家集団が世界の医学レベルからかけ離れた主張をしたこと」、及び「マスコミもハンセン氏病を奇病扱いして彼らに迎合したこと」を紹介した。実際には、彼らの施策が採用されて、長年にわたり非合理かつ不条理な施策に患者は苦しめられた。
今回も同様の問題が繰り返されている。Wall Street Journalに指摘されるまでもなく、日本の社会と医学のレベルが問われている。「感染症新法」は5年を経たら見直すことになっている。今回のSARS問題では、厚生労働省自らが「感染症新法」を無視しており、この法律の欠陥を身をもって表した。これを機会に、医科学に基づいた感染症対策へと変更することを願いたい。感染症の成り立ちに立脚した施策は、それ自体が人権にも配慮する結果になる。そうした施策から感染症への理解も深まり、医療レベルの向上も望め、良質かつ適切な医療の提供につながると思う。
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この改訂で、前の4月1日版に付け加えられたのは「目的」と「序文」及びSARS-CoV検査についてである。「序文」では、SARS-CoV検査の限界を考慮し、結果が陰性だからといって「症例定義」を降格させてはならないことをブロック文字で強調している。厚生労働省が5月8日付けで改訂を紹介したが、この強調部分がそっくり欠落し別に検査の指針を記したところに移動させている。なお、他に症例の再分類、「疑い例」は7日間の経過観察で改善傾向なければ再度胸部X線写真をとり、「臨床診断例」への移行を調べること、 回復した「疑い例」の扱い、接触者の基準、流行地域が示されている。CDCは「疑い例」として患者を一括しているのがWHO式と異なる。