肺がん治療用剤「イレッサ」(一般名・ゲフィチニブ)服用後に、その害により死亡した患者の遺族らが、承認した国と、製薬会社アストラゼネカ社(ア社)に損害賠償を求めた訴訟の控訴審判決が5月25日、大阪高裁であり、イレッサそのものの欠陥を認めないだけでなく、指示・警告上の欠陥も認めず製薬会社や国の責任はない、と結論した。
この判決に対して、数多くの批判がなされている。NPO法人医薬ビジランスセンター(薬のチェック)でも、6月5日、イレッサの不当判決に抗議する声明を公表し、同日インターネットで速報するとともに、判決前日(5月24日)の集会で講演したイレッサの医学的問題に関するスライドも掲載した(判決後に、一部加筆)(速報版No158)。
大阪高裁での判決を受け、肺虚脱死を「慢性肺炎」と偽っていたことに関してさらに詳細に分析した意見書(7)、および、イレッサの毒性・本質的欠陥に関する総合的な意見書(8)を作成した。
以下は、意見書(7)および意見書(8)の要約である。
大阪地裁および大阪高裁は、イレッサの害に関して、その信頼性、信憑性が問われている被告ア社による釈明書である「ア社概要」を何らの間違いもない医学的適切な根拠であることを前提として判決している。しかし、ア社概要の根拠となった丙G第11号証およびKobayashi論文、さらにはKobayashi論文引用の論文を検討した結果、「慢性肺炎」の記載はみられなかった。
丙G11号証が引用した一つの調査(表6.1)の対象イヌは入院した病犬であり調査目的は公害の呼吸器への影響をみたものであり、1歳未満に限った集計はなかった。丙G11号証の別の調査(表6.2)で肺炎が生じていたのは3.3歳以上であり1歳未満の罹患はなかった。
丙G11号証で引用され、詳細な動物病理学教科書(Pathology of Domestic Animal 4th ed)では、「気管支肺炎は、慢性化することがあり、その病変は、線維形成を伴う慢性化膿巣である」。大葉性肺炎でも、「慢性膿瘍形成などに移行し、肉芽組織による器質化が著しい場合には、肉様の線維組織ができる。これはcarnification(肉様変化)と呼ばれる」。これら、慢性化膿巣や慢性膿瘍形成はヒトの病変では「肺膿瘍」「肺化膿症」あるいは「壊死性肺感染症」と呼ばれる病態に相当する。気管支肺炎が慢性化した慢性化膿巣も、大葉性肺炎が慢性化した場合の肉様変化も、pale(蒼白、あるいは、白っぽい:ア社概要では淡色化)とはならない。
劇症型大葉性肺炎が治癒する場合には、瘢痕化し組織の収縮が生じうるとしても、元の4分の1の大きさに縮小するような瘢痕収縮は考えられず、それほど著しい大葉性肺炎を起こしたならば死亡する可能性の方が大きい。死亡に至らず治癒するとしても、劇症型大葉性肺炎の急性期に、何の症状もなく、知らない間に治癒し、しかも肺葉が、元の4分の1になってしまう状況を想定すべき記述は一切見られない。
一方、EGFR阻害によりサーファクタントの産生が阻害され肺胞を膨らますことができなくなれば、わずか10日間でも肺が虚脱し、前葉が4分の1に収縮し、蒼白化した状態になりうる。
さらに、ア社のいう「慢性肺炎」を有したイヌは、腸や腎臓、肝臓、眼、気管支、食道、リンパ節をはじめ、肺以外の多種多様の臓器に障害が生じていたことから、肺だけが例外的に障害されないことを想定することはきわめて困難である。
以上を総合すれば、無症状の慢性肺炎で、前葉が4分の1に縮小することはありえず、イレッサのEGFR阻害作用により肺虚脱死したと結論づけられる。
7通の意見書を作成し、大阪で2度、東京で1度、イレッサの害を証言した立場から、2011年2月の大阪地裁判決、2012年5月25日の大阪高裁判決のイレッサそのものに関する有効性と安全性評価の医学的間違いを、これまでの意見書での指摘も含めて総合して意見を述べた。
第1に、効果を追求したのと同じ熱心さでイレッサの毒性を警戒しなければならない。医薬品開発は、in vitro (生体外実験)、in vivo(生体を用いた実験)、受容体欠損動物の実験、動物毒性試験、を経て、治験としての第I相、第Ⅱ相、第Ⅲ相試験、市販後大規模対照試験などが行われるが、その際、各段階における役割の重要性(たとえば毒性試験では死亡に至る毒性がどの臓器にどのように現れるかを知ること)を認識し、各時点で判明している医学的知見を相互の関連性を考え総合してとらえなければならない。ところが、大阪地裁と大阪高裁判決はともに、薬剤にとって都合のよい面は相互に関連させて過大に評価し、害については、個々ばらばらに切り離して判断し、ア社および国の判断を妥当とした。
第2に、上記原則にそってEGFR阻害による腫瘍縮小可能性を予測するのと同じ合理的判断をすれば、EGFR阻害で肺虚脱、急性呼吸窮迫症候群、間質性肺炎など致死病変を生じうることは合理的に予測すべきであり可能であった。したがって、EGFR欠損マウスやイヌの肺虚脱死と同様、人の肺虚脱死、急性呼吸窮迫症候群なども含めて多数の死亡例(承認前の段階で30人超)が因果関係ありと合理的に認定できた。ところが、大阪地裁判決は、動物のEGFR欠損マウスの肺虚脱所見、毒性試験イヌの肺虚脱を無視し、肺障害が予測不可能であったとし、さらに大阪高裁判決は、合理的因果関係は1例のみであるとし、添付文書の記載は不適切でなかったという非科学的な判定をした。
第3に、第Ⅱ相試験の高い反応率から延命効果を予測した当時の判断は妥当、承認後も第Ⅲ相試験で延命効果は否定されていないので有効であるとの高裁の判決は、極めて不可解である。腫瘍縮小効果があっても延命しない例は多数あり、現に、承認後に実施された試験で延命効果が証明されなかったために、米国でイレッサは2005年に新規患者への使用が中止となり、2012年には承認が取り消された。また主に市販後に実施された10件の試験結果の検討では、対照群に比較してイレッサ群の死亡率が高いことが判明している(イレッサと対照の当初の割り付けが保たれている開始後数か月間はイレッサ群の死亡率が有意に高い)。
これはイレッサの効果が主張されている遺伝子変異陽性例においても例外ではない。したがって、「寿命延長が否定されていない」というのは事実ではなく、むしろ「寿命短縮が証明されているのである。しかし、すべての判決において、この重大な事実をすべて無視した。
第4に、致死性の害に関する裁判所の判断(致死性の副作用は間質性肺炎のみであり血液毒性がほとんどなく死亡率は他剤と同程度で、他剤に耐えられない患者には選択肢となりうる。効果に比し有害な副作用があるとはいえず有用性がある)には根本的誤りがある。
なぜなら、日本で実施されたイレッサの3試験の開始初期では、イレッサ群死亡の3分の2がイレッサの毒性死と推定され、海外の試験も合わせると約3分の1がイレッサの毒性による死亡と推定された。これは市販前の第Ⅱ相までの臨床試験における、イレッサの使用終了30日以内の死亡例123人中の有害事象死34人(28%)よりも多く、治験時の有害事象死亡はもちろん、病勢進行死亡とされた中にもイレッサによる毒性死があったと推定され、間質性肺炎以外にも、肺血栓塞栓症や胸水・心嚢液貯留、出血などもイレッサによる害と考えられるからである。
第5に、仮に販売がなされた場合でも、イレッサの初版添付文書等に問題はなかったとする大阪高裁判決は、根拠がない。上記のごとく、人の肺虚脱、急性呼吸窮迫症候群、間質性肺炎は、機序、EGFR欠損マウス、毒性試験、臨床試験、ランダム化比較試験などあらゆる結果が因果関係を強く示し、十分に予測可能であり、承認前の試験で観察された有害事象死の大部分が因果関係を合理的に説明できるものであったからである。したがってイレッサの初期添付文書は、全く警告がなされていないにも等しいほどの欠陥添付文書であった。
以上総合して、承認前の第Ⅱ相臨床試験までにおける、副作用死亡はもちろん、有害事象死の大部分、さらには病勢進行死とされた中にもイレッサの毒性による死亡があったと考えられ、イレッサの作用機序(EGFR阻害作用)、EGFR欠損マウスでの呼吸傷害・障害の知見、毒性試験の知見、Ⅱ相までの臨床試験、市販後のランダム化比較試験など、あらゆる結果が因果関係を強く示し、十分に予測可能であり、承認前の試験で観察された有害事象死の大部分が因果関係を合理的に説明できるものであった。
すなわち、これらは大阪高裁がいうような「因果関係が否定できない」程度に過ぎないものではなく、因果関係が確実なものと判定することができたものばかりであった。
また、市販前にすでに試験が終了していた2つのランダム化比較試験(INTACT-1および2)で延命効果は指定され、むしろ寿命短縮の傾向さえ認められたのであるから、承認そのものが不適切であった。
なお、2010年7月、大阪地裁での結審前に作成していた意見書(6)を含め、これまでに作成した意見書(1)~(8)をすべて公表する。