12月12日「独立行政法人医薬品医療機器総合機構」が政府与党の原案どおり、参議院厚生労働委員会で可決され、13日には本会議でも可決され、新しい法律により「独立行政法人医薬品医療機器総合機構」が2004年から設置されることが決定した。
13日可決した法によって作られる新法人は、
という、根本的な問題を抱えている(資料1、資料2、資料3)。
にもかかわらず、衆議院では実質数時間の審議で46法案の一つとして、一括可決してしまった。どさくさにまぎれて、としか言いようがない矛盾だらけの法案である。
国境なき医師団エレン・トゥーンさん(2002年10月第3 回医薬ビジランスセミナーに来日講演)にこの話をしたところ、即座に「ニワトリの番をキツネにさせるようなもの」との返事だった。国民の健康を守るための医薬品、ひいては国民の健康そのものが、まさしく、製薬企業の餌食になってしまう危機的な状況になったと言える。
参議院厚生労働検討委員会での審議で、医薬行政の根幹にかかわる制度の変更を伴うこの法案に関して、厚生労働省は、2002年7月末頃から「勉強会」と称した会合で、まず製薬企業にしていたことが判明した。一方、薬害被害者へは臨時国会開催直前の9月末になって初めて説明があった。被害者不在であり、企業優遇の国の姿勢が問われることになった。
しかも、医薬ビジランス研究所の調査などによって、新法人の最大の目玉ともいうべき迅速審査承認のあり方についても、2002年7月に承認された抗肺がん剤イレッサは発売後わずか3か月余りで 100人近い副作用死を出し、使用によってむしろ寿命が短縮する事実も判明した(注1)。これにより、薬の害の検証と迅速審査のあり方に根本的な問題があることが明白となった。
薬害被害者やNPO医薬ビジランスセンター、薬害オンブズパースン会議、多くの国会議員が、つぎつぎにこれら問題点と法律の欠陥を明らかにし、安全監視は国の仕事であること、製薬企業の意を受けた独立行政法人では一層、安全監視が軽視されること等、法案の矛盾を追求した。このため、厚生労働省と政府与党は、当初のあまりにも露骨な製薬企業優遇策に関して、法案そのものの存在意義にかかわるほどの釈明(注2,注3)を繰り返さざるを得なくなったのである。
にもかかわらず、結局は、審査過程、迅速審査の問題点を検討することもなく、臨時国会において短期間に可決してしまった。
医薬行政の根幹にかかわる制度の改革を行う場合、薬害被害者や医薬品評価に真剣に取り組む専門家、市民グループの意見を聞くべきだ。厚生労働大臣は、少なくとも被害者とは直接面談し、かれらの意見を反映させた医薬品行政の仕組みをつくるべきである。
本来被害者と面談後にあらためて国会の審議にゆだねるべきだが、厚生労働大臣は、12日、この法案の根本を揺るがしかねない趣旨の見解(注2)を述べ、厚生労働委員会では統合した組織を早急に分離するとの決議(注3)をしながら、薬害被害者の声は直接聞くことなく、法律条文を修正もせず原案どおり可決してしまった。長年にわたり薬害被害者築いてきた医薬行政の改革の成果、歴代の厚生大臣や厚生労働大臣が薬害被害者と交わしてきた和解確認書中の薬害防止への確約は、今回否定されたといえる。
「本日の採決は、ハンセン、薬害ヤコブを解決に導いた大臣に対する信頼を裏切るものである」。薬害被害者は、強い口調で厚生労働大臣を批判した。当然のことである。
今回の新法人のルーツである「医薬品副作用被害救済制度」は、国の責任強化を盛り込んだ1979年の薬事法改定とともに、薬害スモンの被害者が、命がけで成立させたものである。また、1996年に、薬務局が行ってきた開発振興部門と規制部門とを分離したのは、相反する部門の同居が、薬害エイズ発生の要因となったことへの反省に基づくものであったはずである。
一刻も早く、厚生労働大臣は、薬害被害者の生の声を聞き、その声を医薬行政に反映させる意思があるのかどうか、薬害被害者とともに薬害根絶を目指す意思があるのか否か、を、直接被害者の前で述べるべきである(今国会中、薬害被害者が切望していた面談を、厚生労働大臣は多忙と問題未整理を理由に断り続けていたが、被害者の声を無視することができず、年内の直接面談が約束された)。
組織の健全を保つには活動内容が開示されていること、その情報をもとに第三者の監視を受けることである。監視を受けない組織は必ず暴走する。企業と国の暴走は数々の薬害の歴史が証明している。適切な監視を受けてこなかったからである。
薬害を防止し、有効で安全な医薬品の承認、安全を確保するためには、企業から完全に独立した第三者組織による、二重、三重の監視が絶対に必要である。
アメリカでは、市民監視組織の医薬専門家の意見をしばしば聴取している。イギリスでは国が率先して、専門家に依頼し、薬剤や医療技術の真の価値評価を実施しており、その監視組織も単一ではない(コクラン共同計画や、国立良質医療研究所、国立研究普及センター、独立中立情報誌のDTB など)。ヨーロッパではある国が承認すると、実質的にEU全体の市場に参入したことになるので、各国は保険給付の対象とする(positive list )か, しない(negative list )か、を区別する。その選別に、大学の医療技術評価の専門家などを投入している(資料4)。
日本では、薬害被害者代表や被害者の推薦する医薬専門家の正式参加は全くない。今こそ、国が承認する医薬品そのものと、承認過程や安全対策が適切かどうかを動物実験から市販後の情報、臨床試験の実施まで総合的に監視する「医薬品総合監視組織」の創設を基本とした改革(注4)を訴える。
国と製薬企業のなりふり構わぬ危険な物質を高価に売りつけるための装置づくりが本格的であることが判明した今、私たち医薬専門家を中心とした市民による医薬品監視の役割の重大性を強く自覚する。
NPO法人医薬ビジランスセンターは、医薬ビジランス研究所、医薬品・治療研究会ととともに、薬害被害者の方々や薬害オンブズパースン会議など市民の医薬品監視活動に役立つ情報を、なお一層素早く入手し、迅速に問題点を指摘する活動を今後も実施し、そのことによって、日本の医療をよくしていきたいと考える。
イレッサは「分子標的薬剤」と呼ばれるこれまでにないタイプの抗がん剤として、2002年1月末申請が出され5カ月あまりで迅速承認され、7月から販売開始、8月末に薬価収載されこれまでに約2万人が使用、70億円以上の売り上げをした。
10月に26人の重篤な間質性肺炎、13人の死亡者が出たとしてて緊急情報が出されたが、その後2カ月あまりで291 人の間質性肺炎になり81人が死亡したことが判明した。
さらに、8月19日アメリカFDA 、20に日本の厚生労働省には生存率を改善しなかったことが報告された。その臨床試験の結果が、INTACT 1および2 である。両臨床試験とも、1000人以上を対象として、他の抗がん剤を併用し、イレッサの上乗せ効果をプラシーボを対照とし、生存期間をエンドポイントとして見た大規模第III相臨床試験である。INTACT 1では、プラシーボ群、イレッサ 250mg群、イレッサ 500mg群でそれぞれ生存期間(中間値)は 11.1 カ月、9.9 カ月、9.9 カ月であった。INTACT 1でも、生存期間(中間値)は 9.9 カ月、9.8 カ月、8.7 カ月であった。それぞれ有意の差はなかったとはいえ、どちらもすべてイレッサ群の方が生存期間が短い。この試験にたいして、「両試験に寄せられていた高い期待は非現実的なものであった可能性がある」「これがイレッサの終焉にならないように願う」との癌学者のコメントさえ寄せられているのである。
12日参院厚労委の冒頭、坂口大臣が示した内容は、今後使える重要な点を含んでいる。
薬害被害者らの要望に押されて委員会は4項目の決議を採択(付帯決議とは別に)
「機構を審査関連業務、安全対策業務および健康被害救済業務に専念させ」
「研究開発振興業務については早急に同機構の業務から分離する」
上記はその1項目。
1996年6月、医薬品・治療研究会と全国保険医団体連合会などが当時の厚生大臣菅直人氏に対し「医薬品の有用性評価、薬害防止、高薬価是正のための提案」を提出(「薬害はなぜなくならないか」p415-p427 参照)。ここに記載した「公的医薬品監視機構」(医薬品の有効性と安全性評価の全過程を監視する組織)の基本構想をもとに、NPOJIPと薬害オンブズパースン会議有志で検討中)