読売新聞は、2003年1月9日、「副作用が問題になっている抗がん剤「ゲフィチニブ」(商品名イレッサ)を、昨年7月の厚生労働省の承認前に、臨床試験外で投与された国内の肺がん患者が286人にのぼり、1人が同5月に副作用で死亡、3人が重症になっていたことがわかった。 製造販売元の「アストラゼネカ」(本社・英国)が「患者の求めに応じた倫理的供給」として無償で提供、国内89病院の医師が個人輸入していた。」と報じた。
予告のテーマとは異なるが、今回はこの問題を考える。
読売新聞によると、英国のアストラゼネカ本社は、医師らに副作用を速やかに報告するよう求めていたが、同封された英文の注意書きには、肺障害などの重大な副作用の情報はなかった。また、臨床試験外の供給についてアストラゼネカ日本法人は、「世界でも例のない規模で経済的負担も大きかったが、患者の圧力に抗しきれなかった」、「厚生労働省には事前に相談し『医師の個人輸入なら問題ない』と確認をとっていた」ことを強調している。一方、厚労省医薬局監視指導・麻薬対策課は「事前相談の有無は定かではない。医師が外国の企業から直接、個人輸入したのなら、法的に問題はない。承認前なら薬ではないので、当局が輸入や副作用の状況を把握する義務もない」としている、という。
新薬の市販には厳密な臨床試験とその評価が必要であるのは言うまでもないが、市販されている薬剤でも客観的と言えない評価は少なくない。しかも真に有効で安全、医療に不可欠なよい薬の開発は最近では少なくなってきている。イレッサもそうだが、むしろ危険の可能性のあるものが優秀な新薬を装って登場する機会が今後ますます多くなると思われる。
市販後でもそうであるから、承認前に企業から流される情報は、さらに偏った情報でしかないと考える必要がある。メーカーは、臨床試験を担当した専門医のうち、試験物質に批判的な医師を遠ざけ、高い評価をする医師を尊重して、自分の持っているメディア(業界紙の宣伝ページや独自の雑誌)に積極的に登場させる。その結果、治験を担当していない医師が目にする情報は企業に好都合な情報でしかない。イレッサの場合には、インターネット上にメーカーが承認前から、宣伝情報を掲載し、医師を介さずとも患者が直接宣伝情報を入手することになった。
一般の医師は、承認前の物質の情報は極めて偏ったものであることをよく承知しておく必要がある。マスメディアも、患者も、医師に届く情報、メーカーが承認前に提供する情報が偏ったものであり、したがって、医師の情報も偏ったものであることを十分に知っておいて欲しい。
国の「承認前なら薬ではないので、当局が輸入や副作用の状況を把握する義務もない」という姿勢も重大問題である。日本における第Ⅰ相臨床試験は、事前に医薬品機構に相談したうえで1998年5月から開始した。第Ⅱ相試験も事前に医薬品機構と相談したうえで、2000年10月から開始した。しかも、2002年1月には承認のための申請が出された。「承認前なら薬ではないので、当局が輸入や副作用の状況を把握する義務もない」とは決して言えない。すでに、国はこの物質に大きく関与していたからである。
しかも、承認されてもいない物質が夢のような新薬であるかのような、明らかに宣伝とも言える情報を流し、患者や現場の医師の申し出に応じてメーカーは提供しているのである。これを、医薬品の安全管理をしている国が見過ごし放置してよいはずがない。
イレッサは試験外で2002年9月までに欧米では2万2000人余りが服用した(読売)。2つの大規模試験INTACTの2000人余りを含め、治験対象者は合計でも3000人たらずである。その10倍近くの患者に、承認前に試験外で使用するというのは、よほど文句なく優秀な薬か、そうでなければよほどの宣伝力によるかいずれかであろう。
イレッサの場合は、癌患者の寿命は延長せず、逆に寿命が短縮する可能性の方が大きいことが判明しているのだから、文句ない優秀な新薬とは決して言えない。これほど承認前に使用されたのは、やはり宣伝が大きかったのであろう。
事実、承認前の宣伝は精力的であった。日本でも、2001年10月、11月に、承認申請前であるのに、Medical Tribune紙にメーカー買い取りページで特集を組み、宣伝用ホームページをもち、専用雑誌(Signal:日本版はSignal Japan)も発行している。インターネット時代の情報網を駆使し、これほど力を入れて宣伝している薬剤は他に類を見ないほどである。
試験外使用では厳格な管理はなく、副作用で障害や死亡に至った場合の責任の所在もあいまいである点も問題だが、何よりも問題であるのは、有効性や危険性に関する情報が未開示状態で使用される点である。市販承認後は不十分ながら、承認の根拠になった薬理試験、毒性試験、臨床試験データなど資料が開示される。第三者による批判的吟味が可能である。ところが、市販の承認前は、これらの情報が治験医師に開示されても、第三者には開示されない。批判的な吟味をしようとするものが請求すると断られる。
欧米では、人道的配慮からの使用(compassionate use)として、登録を前提として、承認前の使用を認めている。しかし、これにも問題はある。最大の問題は上記のように、情報が未開示である点である。危険情報が未開示のまま、場合によっては効果より危険の方が大きく有用とは言えないものが使用されることは人道的でも、倫理的でもない。逆に、非倫理的、非人道的とさえ言うべきである。