7月24日、読売新聞(朝刊)は、「沖縄県内で昨年7月、インフルエンザ治療薬タミフルを飲んだ後、9階から転落死した中学1年男子を調べたところ、脳からはタミフルが検出されなかったことが、福家千昭・琉球大医学部准教授(法医学)らの研究で分かった。」と報道した。「福家准教授は「一つのデータで結論は出ない」と因果関係の言及には慎重だが、タミフルに詳しい、けいゆう病院(横浜市)の菅谷憲夫小児科部長は「検出限界以下の量が脳にあった可能性はあるが、常識的に考えて、脳に悪影響を及ぼすとは考えにくい」と話す。」とも報道され、あたかも、因果関係が否定されるかのような報道がなされた。
重大な問題点をいくつもはらんでおり、この問題は見過ごすわけにはいかない。そこで、被害者遺族とも連絡がとれ、ご遺族の承諾も得られたので、7月27日の日本中毒学会での発表前であるが、ここに、事故の経過の概略を報告し、この発表の問題点について述べておきたい。また、当日(7月27日)は、学会会場で質疑応答により議論を深めたいと考える。
当時13歳男性(中学1年生)。2007年7月3日、朝から39℃程度の発熱とインフルエンザのような症状があった(前日夜は全く発熱や、からだのだるさなど、インフルエンザ要の症状はなかったとのことである)。当日からテストが始まったが、学校を休み、寝ていた。しかし昼を過ぎても熱が持続していたため、兄がすでにインフルエンザのため受診し処方されていたタミフル1カプセルを、父親が1時半頃に本人に服用させ、2時間ほど寝た。起きてきて家人と話をふつうにしていたが、寒気がすると訴え、体温は39.5℃となっていたため、カロナールを1回分(おそらく100mg)服用した。その1時間後頃から、汗がでて気持ちが悪いといって、シャワーをさっとしてまた普通に家人と会話をした。ただ食欲はまだあまりない状態であった。
このあと父親は、17:20に家を出たが、家には兄がいた。しばらくすると、本人がベランダに出て下を覗き込んでいたので、兄が気付いて呼び戻したところ、一旦は家の中に戻った。
そのあと17:40頃、本人はトイレにはいったが、小便をあちこちに飛ばしていた(母親が電話で兄にこのことを確認している)。それが午後5時40分頃であった。自宅は10階建てマンションの6階であるが、その後、兄が気付かないまま、本人が家をでて、マンションの9階(高さ役25m)から落ちた。落ちた時間は、目撃者によれば17:50頃であった。119番に通報され、6時過ぎ(おそらく6時5分頃)に救急車が到着した。そのときには心肺停止状態であったといわれている。したがって、9階から転落してから救急隊が到着するまでには約15分経過していると考えられている。
心マッサージなどを受けながら、沖縄県の南部徳州会病院に救急車で搬送され、同病院で19:05に死亡が確認された(ただし、司法解剖の結果、死体検案書では、死亡時刻は17時50分頃とされた)。
その後は、警察に引き渡され、琉球大学法医学教室において、翌日午後1時〜2時ころから司法解剖がなされた。3時間くらいの予定と聞かされていたがかなり延長し、おそらく解剖が終了したのは午後6時頃であったようである(以上、母親および父親の話、および死体検案書より)。
したがって、解剖がなされ臓器標本の摘出が完了したのは、事故から、24時間近く経過していたと考えられる。
新聞報道では、「沖縄県内で昨年7月、インフルエンザ治療薬タミフルを飲んだ後、9階から転落死した中学1年男子を調べたところ、脳からはタミフルが検出されなかったことが、福家千昭・琉球大医学部准教授(法医学)らの研究で分かった。」(24日読売新聞)、「脳からタミフルが検出されなかったことが、琉球大学医学部の福家千昭准教授(法医学)らの研究で分かった。」(24日沖縄タイムズ夕刊)とされている。
27日予定の学会抄録では「オセルタミビルはいずれの試料においても検出限界以下であった。」との記載である(オセルタミビルは、体内に吸収されたあとのオセルタミビルのことである)。
一方、抗ウイルス活性のあるオセルタミビル(オセルタミビル・カルボキシレート:OC)については「活性代謝物の臓器濃度は、肝臓に最も高濃度で、ついで腎臓であり、脳においては検出下限以下であった。」とされている。
「検出限界以下であった」ということと、「検出されず」とは、明らかに異なる。「検出されなかった」という場合には、「そこにタミフルが存在しなかった」という印象を与えてしまう。しかし、「検出限界以下であった」という場合には、用いた方法の検出限界以下の濃度については、知りえない。言い換えると、より高感度の検査方法を用いれば検出されうる可能性が残されている。
むしろ後述するように、「そこにタミフルが存在しなかった」のでは全くなく、タミフルが存在していても、そもそも「検出できる方法ではなかった」のである。
しかも、事故を起した瞬間の脳中オセルタミビルの濃度が検出限界以下であったのではない。測定されたのは事故があってから約20時間ないし24時間近くの間に解剖がなされ、その間に試料が採取されたものである。
また、直ちにオセルタミビルの濃度が測定されたわけではなく、オセルタミビルおよび活性体(オセルタミビル・カルボキシレート:OC)の測定方法の開発には相当な時間を費やしていると思われるので、実際の測定がなされたのは、相当後になってからのことであろう。
OCは腎排泄性であるから、死亡すれば腎機能が失われるために、死亡時点で生体内に存在しているOCは排泄されず、減少しない。しかし、オセルタミビルは加水分解酵素であるエステラーゼで容易に代謝を受けてOCに変化する。エステラーゼは、主に肝臓で作られるが、血液中や組織中の細胞にも存在するため、生体試料から正確にオセルタミビルを測定するためには、エステラーゼ阻害剤を用いなければならないほどである。
したがって、オセルタミビルは、死亡後には、事故直後よりも急速に低下し、OCは死亡後にはかえって組織中あるいは、試料中で増加すると考えるべきである。
したがって、今回の琉大の研究結果は、タミフルと異常行動による事故死との因果関係を否定するものではまったくない。
その理由を以下にさらに詳細に述べる。
未変化体タミフルがあらゆる臓器に検出されなかった(検出限界未満であった)、その理由としては、上に概略示したように、主に2つの理由が考えられる。
である。これらの点についてさらに詳細に検討を加える。
今回、琉大法医学の福家らにより実施された検査方法は、オセルタミビルと活性代謝物(OC)を固相抽出法にて抽出後、UV検出器付高速液体クロマトグラフ(HPLC)にて定量分析する、という方法である(HPLC-UV検出法とする)。
しかしながら、製薬企業が初期に開発した方法(血漿から固相抽出後、ナフタレンジカルボキシアルデヒドで蛍光誘導体化し、HPLC-蛍光検出法による分離定量法)では、すでに、検出限界がオセルタミビルとOCでそれぞれ、50ng/mL、80〜100ng/mLとされている方法が開発されている。
さらにその後、測定感度と精度を上げるために開発された方法は、血漿または尿試料から固相抽出後、HPLC/MS/MSにて行う分離定量法である。この方法では、さらに感度が上昇し、オセルタミビルおよびOCの定量限界は、血漿でそれぞれ1および10ng/mL、尿では、それぞれ、5および30ng/mLであった(タミフルカプセル75治療用、承認申請概要p333)。
実際、健常人を対象とした第1相試験において、確認しえたオセルタミビルの最低濃度(反復使用時の谷値の平均)として、1.5ng/mLが記載されている(同、p378)。
HPLC-UV検出法は、一般に、HPLC-蛍光検出法に比較して感度は10分の1以下といわれている。実際、最近2編のHPLC-UV検出法に関する論文が出されたが、いずれも、その使用目的は、製剤化したオセルタミビルの含有量の測定のためである。したがって、生体試料のようにng/mL単位での測定は不要であり、30〜400μg/mL(30,000〜400,000ng/mL)の範囲で測定がなされているだけである。だからこそ、この方法が用いられるものと考えるべきである。仮に、検出限界がオセルタミビルもOCもともに0.1μg/mL(100ng/mL)とすると、ヒトに75mgカプセルを使用した場合、OCの平均Cmaxは360.29ng/mLであるため測定可能であるが、未変化体オセルタミビルの平均Cmax(60.63±SD25.12)は測定することができない。平均にSDを加えても、まだ測定限界未満である。
したがって、HPLC-UV検出法は生体試料中のオセルタミビル濃度の測定にはそもそも感度が低すぎると考えられる。繰り返すが、「そこにタミフルが存在しなかった」のでは全くなく、タミフルが存在していても、そもそも「検出できる方法ではなかった」のである。
救急隊が到着したときには、事故直後から15分程度であったが、救急隊員は、すでに心肺停止を確認していたとのことである。したがって、即死状態であったと考えられる。事故直後から死亡までに、たとえば数時間以上経過していたならば、その間インフルエンザにともなう高サイトカイン血症の改善に伴い血液脳関門もある程度は回復した可能性もありうる、その場合には、脳中からオセルタミビルが相当消失していたとしても不思議はない。
しかしながら、発熱発症から半日も経過していない状態であり、しかも事故後ほとんど即死の状態では、血液-脳関門が回復してオセルタミビル脳中濃度が低下する可能性はない。
エステラーゼはエステル結合をした物質を加水分解する酵素であり、肝臓にもっとも多く含まれるが、血液中や消化管、腎臓など多くの組織中に存在し、臓器の局所においてもオセルタミビルはOCに変化しうる。
そのことは、タミフルカプセルの申請資料概要(p333〜p334)に記載されているとおりである。オセルタミビルの半減期の短いラットやマウスの場合には、採血後の血液標本(in vivo に対してこの状態をex vivoと称している)にエステラーゼ活性の阻害のためエステラーゼ阻害剤Dichlorvosを入れておく。このように、標本採取後、検査までの間の活性低下に、たいへん神経を使っているのである。
この方法を用いると、測定までに -20℃に保存しておけば、1か月は安定だったとされている。ただし、2か月後には、このように厳密な方法をもってしても、15%から20%が、OCに変化してしまうとされている。
このように、事故後、死亡診断までの間の約1時間ではもちろん、常温で(多少保冷していたとしても)24時間近くも放置されていれば、生体試料を採取するまでにも当然エステラーゼの影響で、オセルタミビルはOCに変化する。
さらには、測定までの間、生体資料中にエステラーゼ阻害剤(Dichlorvos)を入れておかなければ、たとえ生体試料を凍結保存したとしても、ある程度はエステラーゼによる分解が進むと考えられている。
したがって、未変化体のオセルタミビルは、死亡後には、事故直後よりも急速に低下し、OCは死亡後にはかえって組織中あるいは、試料中で増加すると考えるべきである。
いずれにしても、検査で検出できなかったからといって、タミフルによる異常行動との因果関係が否定されるわけではない。
したがって、今回の琉大の研究結果は、タミフルと異常行動による事故死との因果関係を否定するものではまったくない。
マスメディアの方々は、くれぐれも、その研究結果の持つ意味、制限事項についてよく理解をしていただいたうえで、報道は、慎重にしていただきたい。
なお、本稿の作成には、 島根大学医学部・薬理学講座 奥西秀樹教授の助言を頂きました。 深く感謝申し上げます。