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宣告日時 平成13年3月28日午前10時 |
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裁判所 |
東京地方裁判所刑事第10部 |
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裁判長裁判官 永井敏雄 |
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裁判官 上田 哲 |
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裁判官 中川正隆 |
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事件名 |
業務上過失致死被告事件 |
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被告人 |
安部 英 |
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目次 |
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検討に当たっての基本的な視点 |
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業務上過失致死罪の前提となる被告人の立場 |
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本件被害者のエイズ発症・死亡原因 |
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エイズ研究班当時までの事実関係の概要 |
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エイズの発生等 |
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エイズ研究班 |
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エイズ研究班以後の結果予見可能性に関する事実関係 |
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米国におけるエイズ発症者及び死亡者の増加 |
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エイズ原因ウイルス研究の進展 |
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「HIV抗体陽性の意味」等 |
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T4/T8比低下の意味付け |
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HIVの感染の可能性 |
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HIV感染症の治療の見通し |
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本件における結果予見可能性のまとめ |
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結果回避可能性及び結果回避義務に関する事実関係 |
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医療行為の評価に関する基本的な考え方 |
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血友病の関節内出血 |
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補充療法の評価 |
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諸外国における血友病治療方針 |
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本件当時の我が国の血友病治療の実態とその理由 |
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AIDS調査検討委員会 |
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我が国における国内血の原料不足問題 |
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被告人の本件刑事責任 |
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本件における過失の判断基準 |
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松田医師のいわゆる「進言」について |
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木下医師のいわゆる「進言」について |
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他の医療施設における治療方針との関係 |
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「被告人による医療水準の形成」論について |
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刑事責任の存否 |
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結語 |
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被告人は無罪。 1 検討に当たっての基本的視点 本件は,血友病患者である被害者が大学病院で非加熱濃縮血液凝固因子製剤(非加熱製剤)の投与を受けたところ,同製剤がエイズ原因ウイルス(HIV)に汚染されていたため,やがてエイズを発症して死亡したとして,同病院で科長等の立場にあった被告人が業務上過失致死罪に問われている事案である。本件当時,血友病につき非加熱製剤によって高い治療効果をあげることと,エイズの予防に万全を期すこととは,容易に両立し難い関係にあった。このため,最先端の専門家がウイルス学的な解明をし,これを受けて血友病治療医が具体的な対処方策を模索していた。本件は,未曽有の疾病に直面した人類が先端技術を駆使しながら地球規模でこれに対処するという大きなプロセスの一断面を取り扱うものである。したがって,その検討に当たっては,全体を見渡すマクロ的な視点が不可欠であるが,それと同時に,時と所が指定されている一つの局面を細密に検討するミクロ的な視点が併せて要請される。また,この問題については,数多くの資料が存在するが,事実認定に当たっては,当時公表されていた論文など確度の高い客観的な資料を重視すべきである。事後になされた供述等については,その信用性を慎重に吟味する必要がある。 2 予見可能性について ギャロ博士,モンタニエ博士らのウイルス学的研究等により,本件当時,エイズの解明は,目覚ましく進展しつつあった。しかし,両博士を含む世界の研究者がそのころ公にしていた見解等に照らせば,本件当時,HIVの性質やその抗体陽性の意味については,なお不明の点が多々存在していたものであって,検察官が主張するほど明確な認識が浸透していたとはいえない。帝京大学病院には,ギャロ博士の抗体検査結果やエイズが疑われる2症例など同病院に固有の情報が存在したが,これらを考慮しても,本件当時,被告人において,抗体陽性者の「多く」がエイズを発症すると予見し得たとは認められないし,非加熱製剤の投与が患者を「高い」確率でHIVに感染させるものであったという事実も認め難い。検察官の主張に沿う証拠は,本件当時から十数年を経過した後に得られた関係者の供述が多いが,本件当時における供述者自身の発言や記述と対比すると看過し難い矛盾があり,あるいは供述者自身に対する責任追及を緩和するため検察官に迎合したのではないかとの疑いを払拭し難いなどの問題があり,信用性に欠ける点がある。被告人には,エイズによる血友病患者の死亡という結果発生の予見可能性はあったが,その程度は低いものであった。このような予見可能性の程度を前提として,被告人に結果回避義務違反があったと評価されるか否かが,本件の帰趨を決することになる。 3 結果回避義務違反について 医療行為は,一定の危険を伴うが,治療上の効能,効果が優るときは,適切と評価される。本件においては,非加熱製剤を投与することによる「治療上の効能,効果」と予見することが可能であった「エイズの危険性」との比較衡量,さらには「非加熱製剤の投与」という医療行為と「クリオ製剤による治療等」という他の選択肢との比較衡量が問題となる。刑事責任を問われるのは,通常の血友病専門医が被告人の立場に置かれれば,およそそのような判断はしないはずであるのに,利益に比して危険の大きい医療行為を選択してしまったような場合であると考えられる。他方,利益衡量が微妙であっていずれの選択も誤りとはいえないというケースが存在することも,否定できない。 非加熱製剤は,クリオ製剤と比較すると,止血効果に優れ,夾雑タンパク等による副作用が少なく,自己注射療法に適する等の長所があり,同療法の普及と相まって,血友病患者の出血の後遺症を防止し,その生活を飛躍的に向上させるものと評価されていた。これに対し,非加熱製剤に代えてクリオ製剤を用いるときなどには,血友病の治療に少なからぬ支障を生ずる等の問題があった。このため,本件当時,我が国の大多数の血友病専門医は,各種の事情を比較衡量した結果として,血友病患者の通常の出血に対し非加熱製剤を投与していた。この治療方針は,帝京大学病院に固有の情報が広く知られるようになった後も,加熱製剤の承認供給に至るまで,基本的に変わることがなかった。こうした当時の実情に照らせば,被告人が非加熱製剤の投与を原則的に中止しなかったことに結果回避義務違反があったと評価することはできない。 4 被告人の刑事責任について 血友病治療の過程において,被害者がエイズに罹患して死亡するに至ったという本件の結果は,誠に悲惨で重大である。しかし,開かれた構成要件をもつともいわれる業務上過失致死罪についても,犯罪の成立範囲を画する外延はおのずから存在する。生じた結果が悲惨で重大であることや,被告人に特徴的な言動があることなどから,処罰の要請を考慮するのあまり,この外延を便宜的に動かすようなことがあってはならない。関係各証拠に基づき具体的に検討した結果によれば,被告人に過失があったとはいえない。
本件は,血友病患者である本件被害者が大学病院で非加熱濃縮血液凝固因子製剤(非加熱製剤)の投与を受けたところ,同製剤がエイズ原因ウイルス(HIV)に汚染されていたため,やがてエイズを発症して死亡したとして,同病院で科長等の立場にあった被告人が業務上過失致死罪に問われている事案である。血友病は,血液凝固因子の先天的欠乏等のため出血が止まりにくく,随時その補充を必要とする遺伝性疾患である。その治療薬として血液凝固因子の補充に使用される非加熱製剤は,従前の血液製剤に比べて格段に優れた効能を有し,血友病患者の生活を質的に大きく改善したものとして高い評価を受けていた。他方,エイズは,後天的に免疫不全症状を呈する予後の極めて悪い疾病である。この疾病は,血液などの体液を介して伝播する性質があり,このため非加熱製剤の投与を受ける血友病患者は,エイズの危険にさらされている旨が指摘されていた。こうした事情から,本件当時,血友病につき非加熱製剤によって高い治療効果をあげることとエイズの予防に万全を期すこととは,容易に両立し難い関係にあった。すなわち,非加熱製剤を使用すれば高い治療効果は得られるが,それにはエイズの危険が伴うことになり,また同製剤の使用を中止すればエイズの危険は避けられるが,血友病の治療には支障を来すという困難な問題が生じていた。このためエイズと血液製剤をめぐる問題については,最先端の専門家によってウイルス学的な解明がなされるとともに,その解明が進むのを受けて,血友病治療医らがエイズへの対処法を模索しているという状況にあった。 エイズと血液製剤の関係は,時間的にも空間的にも相当の拡がりを有する問題であった。エイズの浸透ないし蔓延状況に関する情報や,エイズ原因の解明や対処方策の研究に関する情報は,時を追って刻々と変化し,国や地域によっても事情を異にする点があった。本件刑事訴訟では,そのように複雑で多様な事実関係の中から,訴因に明示された特定の行為の是非が問題とされている。本件は,未曾有の疾病に直面した人類が先端技術を駆使しながら地球規模でこれに対処するという大きなプロセスの一断面を取り扱うものである。したがって,その検討に当たっては,全体を見渡すマクロ的な視点が不可欠であるが,それと同時に,時と所が指定されている一つの局面を細密に検討するミクロ的な視点が併せて要請されることになる。 また,エイズと血液製剤をめぐる問題は,以上のように複雑で多様な事実関係を含むものであり,ウイルス学者,血友病治療医,製薬会社関係者,行政担当者など多くの者がこれに関与してきた。流動的で混沌とした状況の下において,これらの者がそれぞれの時期に種々の方向性をもった行動をとっており,それに応じてさまざまなエピソードが存在する。中には強いインパクトを有するものがあり,事象の本質を構成するような重要なものも存在するところである。その反面,一見して人目をひく点はあるが,事象の正確な把握という観点からは,むしろ紛れを生じさせる作用を果たすものもないわけではない。個々のエピソードの評価に当たっては,こうした点にも留意する必要があろう。 さらに,エイズと血液製剤の関係は,世界各国で長期間にわたって広く関心を集めてきた難問であり,それだけに数多くの資料が存在する。それらの中には,確度の高い原資料というべきものが存在する一方,その正確性について留意を要する二次的三次的な派生資料も少なくない。このため,限られた一定の資料に基づいて考察するときは,事態がある様相を呈するが,他の資料に基づいて考察するときは,様相が一変するというようなことも,生ずるおそれがないとはいえない。事案の性質に照らし,本件における事実の認定に当たっては,事件当時に公表されるなどして客観的な存在となっていた資料を重視すべきであると考えられる。これに対し,当時を回顧して事後的になされた論述等については,合理化などの心理作用から潤色している点がないかどうかを慎重に吟味する必要があるといえるであろう。 本件において直接問題となるのは,昭和59年ないし昭和60年当時における被告人の行為であるが,公訴が提起されたのは,昭和59年から起算すれば12年後の平成8年9月であった。そして,平成9年3月から平成12年9月にかけて公判審理が行われたが,事件当時の状況を忠実に再現するという観点からは,時の経過による記憶の減退や変容という問題を避けて通ることは難しい状況にある。現に,通常であれば記憶が失われることなどあるはずがないと思われる事項について,記憶が完全に欠落しているというような例もみられたところである。関係者の供述内容を吟味するに当たっては,このような時の経過に伴って生ずる問題にも十分留意する必要がある。 上記のような基本的な視点に立脚して,以下検討を進めていくこととする。 本件は,業務上過失致死罪に係る事案であるが,同罪の前提となる被告人の立場について,検察官は,帝京大学病院の第一内科長としての立場と,血液研究室主宰者としての立場を指摘し,被告人が血友病治療の適正を確保し,これに伴う血友病患者に対する危害の発生を未然に防止する業務に従事していたと主張する。これに対し,弁護人は,被告人が従事していた業務の内容を種々争っている。 この点については,第一内科長の地位にあったことや血液研究室の責任者という地位にあったことが,それだけで直ちに業務上過失致死罪との関係における被告人の行為の評価を決するまでの事情といえるか否かは,必ずしも明らかではない。また,被告人の行為と実際の治療行為との間に他の医師が介在していたことは事実である。しかしながら,関係各証拠によれば,被告人は,第一内科長かつ血液研究室の責任者という指導的地位に就いていたことに加え,血友病の治療について抜きんでた学識経験と実績を有すると目されていたことから,これらに由来する権威に基づき,自ら第一内科における血友病に係る基本的治療方針を決定していたものであり,本件当時,同内科において非加熱製剤が投与されていたのは,被告人の意向によるものであったことが明らかである。このような血友病診療の実態に照らせば,本件当時,同内科において血友病患者の出血に対し非加熱製剤が投与されていたことについて,被告人の過失行為の有無を問題とすることは,法律上十分可能というべきである。弁護人は,本件被害者に対する非加熱製剤の投与については,被告人の行為は法律上関連がなく,被告人の過失責任を問題とする前提が欠けているかのように主張するが,この主張は,被告人が第一内科において決定的な影響力を行使して非加熱製剤を投与する体制を構築し,かつそのような体制を維持していた事実を無視し,非加熱製剤の投与に関する被告人の役割をことさらに過小評価するものであって,事の実態から乖離しているものといわざるを得ない。 また,被告人が医療及び保健指導を掌る医師の職責の一環として,第一内科長かつ血液研究室の責任者の立場を通じ,第一内科における血友病患者の基本的治療方針を決定していた行為は,人が社会生活上の地位に基づき反復継続して行う行為であり,かつ他人の生命身体に危害を加える虞あるものであったことは明らかであって,業務上過失致死罪にいわゆる業務性の要件を満たすことに疑問は生じない。したがって,仮に被告人について本件公訴事実のような過失責任が問題になるものとすれば,それは,業務上の過失責任であるとの評価を受けることになるものと考えられる。 関係証拠によれば,本件被害者がHIVに感染した時期は,昭和60年5月10日ころから同年7月8日ころまでの間であったと推認される。そして,本件被害者は,この期間中に,同年5月12日,同年6月6日及び同月7日の3回にわたり,帝京大学病院第一内科において,手首関節内出血の止血治療のため,外国由来の非加熱第[因子製剤であるクリオブリンを投与されたことが認められる一方,本件投与行為以外の原因によりHIVに感染した証跡はない。これらの事情に照らせば,本件被害者は,本件投与行為によりHIVに感染したものと推認するのが相当である。また,関係証拠によれば,本件被害者は,HIV感染に起因する悪性リンパ腫により,平成3年12月に死亡したものと認められる。 エイズは,その病原ウイルスの分離・同定前である昭和57年に米国で定義がなされた疾患概念であるが,米国のエイズ患者の報告数は,昭和56年の最初の症例報告以降,増加の一途をたどり,昭和58年半ばころには,西欧諸国等においても数十名程度のエイズ発生が報じられるに至っていた。そして,エイズ患者の予後については,その死亡率が極めて高いことが当初から広く知られていた。 エイズの原因については,様々な説が主張されていたところ,「サイエンス」誌昭和58年5月20日号には,後にHIVを最初に分離したと評価されたシヌシ博士,モンタニエ博士らの新たなレトロウイルス(LAV)の分離を報告した論文が掲載されたが,同号には,HTLV−Tがエイズと関係があるという趣旨のギャロ博士らの論文なども掲載されていた。 厚生省薬務局生物製剤課の郡司篤晃課長は,昭和57年暮れころから,米国で血友病患者からエイズ発症者が出たとの情報に接するなどして,我が国の血友病患者にもエイズが伝播する危険性があるとの危機感を抱き,我が国におけるエイズ発生状況の調査及び血液凝固因子製剤に関するエイズ対策を検討するため,エイズ研究班を設置することとし,被告人がその主任研究者(班長)に選ばれた。 エイズ研究班においては,エイズの疑いのある症例のアンケート調査によって報告された症例について,それがエイズに該当するか否かの検討が行われた。ここでは,昭和58年7月5日に帝京大学病院第一内科において死亡した血友病B患者の症例(帝京大1号症例)が検討の対象となり,被告人は同症例がエイズであると強く主張したが,他の班員の反対によって,エイズと認定することは見送られた。 また,血液凝固因子製剤に関するエイズ対策として国内自給体制が議論され,班員からは,第[因子製剤を自国で賄うことを現実的な目標にするのであれば,クリオ製剤を併用すべきである,患者の便利もある程度犠牲にすべきではないかなどといった意見も出されたが,被告人は,非加熱製剤の治療効果や自己注射療法における利点などを強調してこれに反対し,血液製剤対策の検討のため,風間睦美帝京大学教授を委員長とする血液製剤小委員会が設置されることになった。 血液製剤小委員会においては,クリオ製剤の評価,加熱第[因子製剤,原料血漿の問題などが討議項目となった。その結果,加熱製剤については治験を行うべきであるとされ,クリオ製剤については,血友病乳幼児の軽・中等度の出血及び血友病年長児・成人の軽度の出血,皮下出血などが「相対的適用(クリオでも治療可能なもの)」とされたが,成人の関節内出血等のほとんどの出血については,「クリオでは確実な治療が不可能なもの」とされた。 第5 エイズ研究班以後の結果予見可能性に関する事実関係 目次に戻る エイズ研究班が終了した後も,米国におけるエイズ患者は増加を続け,昭和59年11月26日現在,サーベイランス定義に合致するとして報告されたエイズ患者数は6993名に達し,そのうち3342名が既に死亡したとされ,血友病患者のエイズ発症例についても,同年10月14日現在で合計52例となり,そのうち30名が既に死亡したとされるに至っていた。 昭和59年4月23日,米国厚生省のヘクラー長官は,ギャロ博士らの研究チームがエイズの病原体とみられるHTLV−Vと命名された新しいウイルスを分離することに成功したと発表した。ギャロ博士らは,「サイエンス」誌昭和59年5月4日号において,エイズ患者ら48名からHTLV−Vを分離したことや,エイズ患者やプレエイズ患者ではHTLV−Vに対する特異的な抗体の保有率が高いことなどを報告し,HTLV−Vがエイズの主な原因であること,これがHTLV科のウイルスであり,LAVとは異なると考えられることなどを示唆する4編の論文(以下「4点論文」という。)を発表した。 他方,モンタニエ博士らもLAVの研究を進めていたが,やがて,昭和59年9月の仙台における第6回国際ウイルス学会などを経て,LAVとHTLV−Vとは同じウイルスであり,エイズの原因であるという説が専門家の間では広く受け入れられ,LAV/HTLV−Vなどと称されるようになり,その後,ウイルス分離国際委員会によりHIVという呼称が提案されてこれが受け入れられた。そして,このウイルスがレンチウイルス群と共通の特徴を有している旨も指摘されるようになり,昭和60年3月ころまでには,遺伝子情報の解析結果に基づき,HIVがレンチウイルスであるという見解がウイルス学者の共通認識となるに至った。 5.3.1 問題の所在 本件における被告人の結果予見可能性に関する最大の争点は,被告人がギャロ博士に依頼して昭和59年9月ころに入手した帝京大学病院血友病患者48名のHIV(HTLV−V)抗体検査の結果,約半数の23名が陽性であったという,関係各証拠により明らかに認められる事実の意味付けをめぐるものである。すなわち,検察官は,HIVは,その発見当初から,感染を受けた個体が持続感染した状態になり,体内においてウイルスと抗体が共存するものと想定されていた上,昭和59年11月ころまでに明らかとなった疫学的・血清学的データ等は,HIVの感染を受けた個体では,免疫応答によってウイルスが排除されず,抗体とウイルスが共存し,抗体陽性者がその体内に感染性のあるウイルスを保有していること(ウイルスに持続感染していること)を示すものであったと主張し,また,抗体陽性である男性同性愛者集団を経時的に観察した疫学的データが報告され,抗体陽性者からのエイズ発症率が高率に上っていることが示されていた上,エイズの潜伏期間が数年以上の長期間に及び,しかも時の経過とともに更に長くなるものと認識されていたことから,その後も抗体陽性者からのエイズ発症者が増加することにより,抗体陽性者のエイズ発症率が,最終的には極めて高率に上るものと想定されていたなどと主張している。これに対し,弁護人は,本件当時までの状況下では,HIV抗体陽性の意味は不明であり,抗体陽性者のうち,どの程度の割合の者について生きたウイルスが体内に存在するのか,将来エイズを発症する者がどの程度いるのか,他人にエイズを感染させる危険のある者がどの程度いるのかといった点は,分からなかったなどと主張している。 この「抗体陽性の意味」をめぐっては,当事者双方の主張の対立自体が,かなり複雑難解なものとなっている。こうした当事者の主張に加え,双方から提出された膨大な文献の記載内容と多数の証人の公判供述の内容にかんがみると,「抗体陽性の意味」に関する本件訴訟の争点は,次のような4つの側面を念頭に置きつつ,多角的に分析していくことが相当であると認められる。すなわち, @ エイズ原因ウイルスに対する抗体陽性者は感染性のあるウイルスの現保有者であるか,また,抗体陽性者のうちウイルス現保有者である者の割合はどの程度か(ウイルス現保有に係る側面,抗体陽性の第1の意味) A ウイルスの現保有者は将来にわたってウイルスを保有し続けるか,また,将来にわたってウイルスを保有し続ける者の割合はどの程度か(将来にわたる持続感染に係る側面,抗体陽性の第2の意味) B 抗体陽性者の有する抗体はウイルスの活動(感染,発症等)に対して防御的作用を有するか,また,その防御効果はどの程度か(防御的作用に係る側面,抗体陽性の第3の意味) C 抗体陽性者はエイズを発症するか,また,エイズを発症する者の割合はどの程度か(発症率に係る側面,抗体陽性の第4の意味) である。そして,これらの前提として,「HTLV−VとLAVが同じウイルスであり,エイズの原因ウイルスであるか」という問題があることはいうまでもない。 また,上記@ないしCについては, D 血友病患者に見られる抗体陽性の意味が,他のリスクグループ(とりわけ男性同性愛者)におけるそれと同じであるのか異なるのか E 抗体陽性の意味が人種によって異なり得るのか といった問題があり,さらに,上記Cに関連するものとして, F 抗体陽性者(あるいはウイルス感染者)のエイズ発症にコファクター(co-factor,「補助因子」,「副要因」などとも訳されるが,以下「コファクター」という。)が関与しているか,また,関与するとすればどの程度か という問題が関わってくることも,念頭に置いておくことが相当である。 以下,これらの点に関する内外研究者らの本件当時の認識状況を,関係各証拠に照らして検討していくが,本件において,証拠文献中の記載や証言等を正当に評価するには,証拠関係全体の中でそれらを正確に位置付けることが必要不可欠であると考えられる。そこで,この判決要旨でも,論告・弁論においてとりわけ重視されている研究者の見解,すなわち,ギャロ博士らのグループ,モンタニエ博士らのグループ,エバット博士を含む米国CDC(米国防疫センター)及び我が国の栗村敬医師の各見解については,それぞれ証拠の細部に立ち入った検討結果を示しておくこととする。 5.3.2 ギャロ博士らのグループの見解 本件公訴事実において「HIVをエイズの病原として同定した」とされているギャロ博士らのグループの本件当時ころの「抗体陽性の意味」に関する見解あるいは認識を示すものとして,検察官及び弁護人が本件訴訟に提出した論文等については,その評価あるいは位置付けに当事者間で大きな差異がみられる。この点に関する当裁判所の評価は,以下のとおりである。 5.3.2.1 「ランセット」誌昭和59年9月29日号の論文 「ランセット」誌昭和59年9月29日号には,ゴダート博士(筆頭著者),ブラットナー博士らとギャロ博士の共著論文「男性同性愛者におけるレトロウイルス(HTLV−V)に対する抗体と免疫不全状態の決定要因」(以下「昭和59年9月のランセット論文」という。)が掲載されているところ,その「要旨」部分には,「HTLV−Vに対する抗体が陽性であった人は,1年当たり6.9%の割合でエイズを発症し,さらに免疫不全の臨床症候(レッサーエイズ)の発生率は,1年当たり13.1%の割合であった。」旨の記載がある。 この論文は,検察官が論告要旨において,「抗体陽性者からのエイズ発症率が高率に上っていることを示すデータ」として指摘する文献のうち唯一の原著論文であり,発症率が高いと考えていた旨の証言として検察官が引用する5名の証人のうち3名が言及しているものであって,検察官の主張において,重要な位置付けを占めているものと解される。 しかしながら,この論文に関する検察官の意味付けや,それに沿うかのような証人の供述には,次のとおり,多くの疑問を指摘せざるを得ない。 @ まず第1に指摘すべきことは,この論文の表題及び全体の記述を一読すれば明らかなとおり,この研究は,昭和57年6月の4日間にマンハッタンのある内科医院に来院した男性同性愛者の患者67名を観察対象として,2年間の追跡によってその間の抗体検査結果と免疫不全症状の発症状況等を調査し,どのような要素が発症に関与していると見られるかを検討したものであり,抗体陽性者からの発症率そのものを直接の検討対象とした研究ではない。ギャロ博士自身も,昭和59年11月に東京で開催された高松宮妃癌研究基金第15回国際シンポジウム(以下「高松宮妃シンポジウム」という。)での発表において,この論文を「HTLV−Vがエイズの原因であることを示す疫学的研究」として引用しながら,疾病の発症率について触れた箇所では引用していない。また,本件証拠関係においては,我が国の研究者が,この論文が発表された以降の時点において,HIV抗体陽性者又は感染者からのエイズ発症率について言及した論文や発言が多数提出されているが,この論文を明示的に引用したものは見当たらない。 A 検察官の指摘する「6.9%」という数字は,この研究において,昭和57年6月時点における血清のHTLV−V抗体検査で陽性であった35名に,その後の観察期間中に抗体陽性であることが判明しエイズを発症した1名を加えた36名を母数として,2年間にエイズを発症したと診断された5名を72人・年(36名×2年)で除したというものである。したがって,HTLV−V抗体陽性とエイズ発症の関係を考察する上で,このデータ自体に一定の意味があることはもとより当然ではあるが,だからといって,このデータを,「毎年平均6.9%のHTLV−V抗体陽性者がエイズを発症する」(検察官の冒頭陳述28頁。なお,論告要旨248頁参照)などと理解するのは,血友病患者等を含む抗体陽性者一般についてはもちろん,この観察対象となったグループ自体についても,無理な推論であるといわざるを得ない。そもそも,ウイルス感染症においては潜伏期があるのが常識であって,潜伏期が終わるまでは発症は見られず,また,発症がないまま潜伏期の最大期間を超えれば不顕性感染で終わったと見られるのが通常であるから,こうした一般のウイルス感染症の常識を前提とすれば,この研究において疾病を発症しなかった観察対象者が,今後も観察した2年間に見られたのと同様の割合で疾病を発症していくと予想すること自体がにわかに考え難いものである。 B そして,この論文の全体を通読すれば,むしろ著者らの考えが「毎年6.9%ずつ発症する」といったものではないことが読み取れるというべきである。なぜなら,この論文には,観察期間中にエイズ症状を発症しなかった対象者について,将来的に同様の割合でエイズを発症していくことを推測するような記述は全く存せず,逆に,論文の結論部分には,次のとおり述べられている。 「臨床的に正常な多くの者は,HTLV−V抗体と軽度のヘルパーT細胞減少を示していた。ヘルパーT細胞の低位は,感染の効果であり,これは,より重篤な疾患へ進展するか,あるいは,安定した不顕性感染のままの可能性がある。多分,起こっていることは,HTLV−Vがリンパ球標的細胞に半致死的障害を与え,この標的細胞損傷は,他のコファクターに依存して回復し,同じ状態に留まり,又は進行しているのであろう。例えば,HLA型DR5の男性同性愛者は,カポジ肉腫やリンパ節腫脹症に対する危険性が高く,このことは宿主側の要因が,HTLV−Vに対する曝露の結果に影響していることを示唆している。幾人かの個人においては,介入性感染,娯楽用薬物使用,同種異系の精子あるいは血液への曝露,その他の要因などの免疫学的なストレスの蓄積あるいは干渉が,さらに体内の平衡を崩し,臨床的進行を促進している可能性がある。臨床家,疫学者,実験室研究者の技術を集めて注意深く計画された分析研究が,HTLV−Vによって最初に引き起こされる免疫破壊に対する宿主反応に影響を及ぼす種々のコファクターやエイズの病態を明らかにするために必要であろう。」 すなわち,著者らの考えは,「他のコファクター」あるいは「宿主側の要因」が,エイズの発症に深く関与しており,疾病を発症した者と発症しなかった者との間にはこうした要素において差がある,臨床的に正常な多くの者については「安定した不顕性感染のまま」の可能性があるなどというものであったと認められる。 C したがって,この論文の発症率に関するデータは,2年間で13.9%(36名中5名)の抗体陽性者がエイズを発症したということに尽きるというべきであるが,この事実から,抗体陽性者一般におけるエイズ発症率を推測するにも,多くの障害がある。とりわけ,弁護人も指摘するように,対象となった男性同性愛者集団が,抗体陽性の男性同性愛者一般ではなく,医師を受診した患者集団であり,したがって,抗体陽性ではあっても健康に暮らしている人間が含まれていないと考えられることは重要であり,これらの対象者中に(エイズ関連症候群《ARC》やリンパ節腫大症候群《LAS》の範疇に入るかどうかは別論として)エイズの前駆症状を有していた者が抗体陽性の男性同性愛者一般より有意に多く含まれていた可能性は十分に考えられるところである。そのような対象集団の性格にかんがみれば,本研究の結果は,抗体陽性の男性同性愛者一般における発症の割合よりも高いのではないかと考えるのが,むしろ合理的な推論であるともいえる。 D 上記のデータが抗体陽性の血友病患者にそのまま当てはまると考えることには,さらに障害が加わる。同じウイルスであっても,被感染者がどのような集団に属するのかによって発症率が違うということは,一般的によく見られることだからである。そして,そもそも,現実の米国におけるHIV抗体陽性血友病患者のエイズ発症率の当時のデータは,この論文の「1年当たり6.9%」などというものとはかけ離れたものであったことが明らかであるように思われる。すなわち,この論文の発表後間もない時期に公刊された「MMWR」誌昭和59年10月26日号には,後記5.3.4.2のとおり,米国の血友病患者のHIV抗体陽性率が,濃縮第[因子製剤の投与を受けた者については74%,濃縮第\因子製剤の投与を受けた者については39%であったというデータが報告されており,同国の血友病A患者数及び血友病B患者数に照らすと,1万人近いHIV抗体陽性血友病患者が当時存在したものと推定される。その後の調査でも,昭和62年12月のCDCの報告によれば,米国の血友病患者推定1万5500人のうち,9465人のHIV感染が判明していたのであるが,米国における加熱製剤への切り替え状況やHIV抗体スクリーニングの実施等に照らせば,この数字は昭和59年秋ころの米国血友病患者のHIV感染者数とほぼ同じであろうと推定される。したがって,仮に「1年当たり6.9%」というエイズ発症率が米国血友病患者にもそのまま該当するのであれば,1年で700名近い血友病患者からのエイズ発症者が出なければならないことになるが,「MMWR」誌前同号は,血友病患者の累積エイズ発症数が52例(最も多い昭和59年でも10月14日現在で29例)であると報じていたものである。このことを逆から見れば,本論文の研究と同様の研究を米国血友病患者に対して行っていれば,1年当たりのエイズ発症率は「0.数%」であったということになろうと考えられる。すなわち,現実の血友病患者中のエイズ発症者数とHIV抗体陽性者の推定数に照らせば,この論文の「6.9%」という数字は,観察対象となった小集団の,男性同性愛者であり,かつ臨床症状を有し病院に通院する者であるという特殊性が強く反映したものであり,血友病患者については,ほとんど参考にならないのではないかと考えることがむしろ自然である。そして,このランセット論文とほぼ共通の著者らによる後記5.3.2.5の「JAMA」論文における研究結果は,「3年以上の観察期間」において,エイズのみならず「エイズ様疾病」をも併せた累積発症率が2%から4%台であったとしているのであるから,まさしくそのような考えに沿う結果であったように思われる。 また,日本人の血友病患者に当てはまるかどうかについては,以上に加えて,エイズ発症に人種差があるのではないかという,本件当時現実に存在した仮説との関係が加わってくるが,この点は後記5.3.10で触れる。 E その他,本論文には,例えば,抗体陽性と判断する基準について,酵素免疫吸着法による検体の吸光度の対照群との比率を3.0以上とした従前の論文の基準を変更して,5.0以上とする厳しい基準を採用した結果,抗体陽性とされなかった患者からも1名がエイズを発症し,2名がレッサーエイズを発症した(従前の基準であれば1名がレッサーエイズを発症した)という,抗体陽性と陰性との振り分け自体が自明なものではないことをうかがわせるデータや,33名の抗体陽性の男性を1年後に再検査したところ,2名については抗体が検出されず,2名とも良い健康状態のままであったという,いったん抗体陽性となっても再び抗体陰性となることがあるという推測の根拠ともなりそうなデータなども記載されている。こうした記載からは,このような前例のない世界最先端の研究を進めるに際しては,検査法や検査技術自体の開発・進展が密接に関連し,得られたデータの意味付けやその解釈の基準も自ら定めていかなければならないなど,特有の困難がつきまとうものであることをうかがうことができる。そのことは,同時に,この種の論文を読んで知識を得ようとする側においても,そのような困難に由来する不確実性が存するものとしてそのデータや解釈を受け取る必要があることを示しているというべきである(例えば,この論文の「33名の抗体陽性者を1年後に再検査したところ,2名については抗体が検出されなかった」というデータから,直ちに「抗体陽性者は毎年6%《2/33》ずつ抗体が陰転する」という結論を導くことが誤りであることは多言を要しないであろう。)。 5.3.2.2 「サイエンス」誌昭和59年10月26日号の論文 「サイエンス」誌昭和59年10月26日号のギャロ博士らの論文「エイズ関連症候群の患者及びエイズの危険のある健康な男性同性愛者の唾液中に存するHTLV−V」は,エイズ患者4名,ARC患者10名及び健康な男性同性愛者6名から採取した末梢血白血球と唾液を資料とした検査の結果,@エイズ患者及びARC患者の全員と健康な男性同性愛者6名中4名について,HTLV−Vの構成蛋白に対する抗体の存在が判明し,かつてHTLV−Vに曝されたことが証明されたこと,Aエイズ患者1名,ARC患者4名及び抗体陽性である健康な男性同性愛者2名の末梢血液から感染性のウイルスが分離されたこと,BARC患者4名及び抗体陽性である健康な男性同性愛者4名の唾液からもHTLV−Vが分離されたことなどを報告したものである。 検察官は,「昭和59年11月ころまでには,ウイルス分離の技術的困難性にもかかわらずHTLV−V/LAV抗体陽性者から極めて高率にウイルスが分離されることが疫学的・血清学的データによって明らかとなっていた」と主張するところ,そこで指摘されているウイルス分離の具体的な報告は,個別症例における報告以外には,昭和58年段階の「多発性リンパ節病変を起こしているLAV抗体陽性者6名のうち4名からLAVを分離した」旨のモンタニエ博士らの報告とこの論文のデータがあるのみであり,これもまた,検察官の主張において重要な位置付けを占めているものと解される。 しかしながら,この論文に関する検察官の主張についても,次のとおりの問題がある。 @ 第1に,この論文の研究も,HTLV−V抗体陽性者のウイルス分離率を調べることを直接の目的としたものとは解されない。ギャロ博士の高松宮妃シンポジウムの発表においても,HTLV−Vの分離率について,「プレエイズ患者の90%以上,エイズ患者の50%以上」という最新のデータを紹介しながら,「抗体陽性者一般からの分離率」については何も触れていない上,この論文についても,文献86として「多少予期しないことであったが,プレエイズ患者や健康な男性同性愛者の唾液からもHTLV−Vを分離できた」旨を述べた箇所で引用されているにとどまっているのである。そもそもウイルス分離率を研究するのであれば,対象の範囲や母数が大きいほど意味があると考えられるが,ギャロ博士らのグループは,昭和59年5月に発表した前記5.2の4点論文において既に48症例からHTLV−Vを分離していたのであるから,この時点ではこの論文の研究対象者より遙かに多くの抗体陽性者からのウイルス分離データを有していたと考えられる。 A 第2に,この論文の研究においてもまた,エイズあるいはARCの症状のない抗体陽性の血友病患者が対象として含まれていないことは,その記載自体から明らかである。したがって,こうした血友病患者について,この論文のウイルス分離率の数字が直ちに妥当するとは想定し難い。そして,この点についてもまた,後記5.3.2.4の「ブラッド」論文や5.3.2.5の「JAMA」論文の内容に照らせば,昭和59年後半ないし昭和60年初め当時の著者らの考えは,本論文のデータを血友病患者に直ちに当てはめることはできないというものであったと認めざるを得ない。 ちなみに,本件当時の我が国においては,抗体陽性者からのウイルス分離はいまだ成功していなかったものであり,昭和62年発行の「Acta haematology」誌77号掲載の昭和61年3月26日受領と記載された高月清医師らの英語論文は,栗村敬医師らの昭和60年の英語論文を引用して,「日本においては血友病患者のLAV/HTLV−Vの出現率が低い」ことを前提とした考察を加え,また,山田兼雄医師は,昭和62年の講演において,「栗村先生が日本におけるウイルス検出率が非常に低く,アメリカで高いのはなぜだろうと述べているが,それはおそらく栗村先生のところに送られてくる検体は,ほとんど全部血友病患者のものであるためと思われる。」などと述べていたのであって,本件当時よりかなり後の時期においても,我が国においては,血友病患者の抗体陽性者からのウイルス分離率は低いというデータが存在していたことが認められる。 5.3.2.3 昭和59年11月の高松宮妃シンポジウムのギャロ博士の発表 ギャロ博士は,高松宮妃シンポジウムにおける発表の「コファクター」の項で,次のように述べている。 「エイズを引き起こすに必要な他の要因はあるか? ある疾患に原因として関与するものとして,あまりにも多くのコファクターが示唆される場合には,通常,私たちは,主たる原因にほとんど気を留めなくなる。私たちの考えでは,十分なHTLV−Vが,ある個人の血液中に入れば,多分,当該個人は感染するであろう。感染者が疾病を発病するパーセンテージは分からないが,ブラットナー,ゴダートとその共同研究者は,1年当たり約6%が疾病を発症すると見積もっている。もちろん,この数字は大変大きな数字である。他の因子に感染すると,T細胞が活性化されることにより,HTLV−Vに感染したT細胞の数が増え,DNAの合成が開始される。この意味で,感染の繰り返しは発症のコファクターである可能性がある。」 検察官は,論告要旨において,この部分を「ギャロ博士が,HTLV−V感染者が毎年約6%の割合でエイズを発症すると想定されていることを指摘」したものであるなどとして引用しているが,この主張もそのまま採用することはできない。 そもそも,このギャロ博士の発表中の「約6%が疾病を発症すると見積もっている」については,データの典拠が不明である。ちなみに,ブラットナー博士及びゴダート博士は,昭和59年9月のランセット論文の共著者でもあり,このデータを(いささか不正確に)引用したものであるとも解されないではないが,ギャロ博士は,「過去に遡った疫学的研究もまた,HTLV−Vがエイズの原因であることを示している。」と述べた箇所では上記論文を参考文献93として引用しているにもかかわらず,この箇所では引用していない。したがって,上記の引用部分のみでは,そこでいうところの「疾病」がエイズのみを指すのか,それともARCなどの関連疾患を含むのかも不明であるといわざるを得ない。また,検察官が「毎年約6%」と訳している箇所については,原文の表現が“about 6 % per year”であるので,上記ランセット論文の「1年当たり6.9%」の原文“6.9 % per year”と統一的に理解するのが相当であること,上記論文について検討したところからすれば,ブラットナー博士やゴダート博士が当時「抗体陽性者が毎年一定の%でエイズ(やARC)を発症する」と考えていたとは想定し難いことに照らし,「1年当たり約6%」と解すべきであると考えられる。しかも,ギャロ博士自身は,この発表の中で「感染者が疾病を発病するパーセンテージは分からない」と述べているのであるから,上記見解にそのまま賛同しているとは考え難い上,感染の繰り返しが発症のコファクターである(つまり,感染を繰り返さなければ発症率は低くなる)可能性があるとも述べている。また,このシンポジウムに出席しギャロ博士の発表を聞いた医師や研究者は少なくなかったと思われるが,他の出席者において,このギャロ博士の発表を聞いたことによってHTLV−V抗体陽性者のエイズ発症率を認識したと認められるような証拠は全く提出されていないのであるから,被告人がこの発表を聞いていたとしても,検察官主張のようにエイズ発症率を認識したはずであると推認する裏付けもないといわざるを得ない。実際,検察側証人の高月医師は,その証言において,このシンポジウムに出席しギャロ博士の発表を聞いていたとし,また,ブラットナー博士は親しい友人であったと供述しているのに,このシンポジウムにおけるギャロ博士のグループの発表の内容に関しては,「抗体のことや陽性率がどうであったというようなことを,数人の人が発表したように記憶している。」と述べるにとどまっている。 5.3.2.4 「ブラッド」誌昭和60年2月号の論文 ギャロ博士は,昭和60年2月発行の「ブラッド」誌67巻3号に掲載された共著論文「濃縮凝固第[因子製剤を受けた血友病者の血清中のヒトT細胞白血病ウイルス反応性抗体」(昭和59年9月10日提出,同年10月8日アクセプト)において,「昭和57年9月から昭和59年4月までの間に実施された調査では,市販の濃縮凝固第[因子製剤で治療を受けたことのある血友病者の74%がHTLV−Vの抗原に対して反応する抗体を有していた。」などのデータを記載し,「抗体の主要な特異性は,HTLV−Vのコアとエンベロープ抗原と推定されているp24とp41に対してであると思われ,このことは濃縮凝固第[因子製剤はHTLV−Vのp24及びp41抗原を伝播しうることを示唆している。」としながら,「しかし,濃縮凝固因子製剤中に感染力を有するレトロウイルスが存在するかどうか,そしてスクリーニング及びウイルス中和化の方法の有効性については,今後の決定に待たなければならない。」と述べている。 すなわち,ギャロ博士らのグループは,昭和59年9月の段階では,濃縮製剤中に感染力があるレトロウイルスが存在するかどうかについても不明であると考えていたことが認められる。 5.3.2.5 「JAMA」誌昭和60年4月19日号の論文 さらに,「JAMA」誌昭和60年4月19日号に掲載された,アイスター博士(筆頭著者),ゴダート博士,ブラットナー博士らとギャロ博士との共著論文「血友病患者におけるHTLV−V抗体の形成及び初期のナチュラル・ヒストリー」がある。 この論文は,「濃縮第[因子製剤の輸注者で3年から9年にかけて追跡調査されたコホートから採取された保存血清サンプルにおけるHTLV−V感染の血清学的証拠を探求した」研究であり,「血友病患者におけるHIV感染時期を初めて明らかにした報告」と評価されているものであるが,それとともに,抗体陽性の血友病患者のナチュラル・ヒストリー(自然史)が研究目的とされたものである。また,この論文の著者の多くは,昭和59年9月のランセット論文と共通であり,したがって,同論文の内容を著者らの意図に沿って理解する上でも参考になるものと考えられる。「JAMA」誌論文の著者らのコメントの項には,次のような記載がある。 「大量の濃縮第[因子製剤がHTLV−V感染症の発現を増大させるのか,あるいはHTLV−V感染とは無関係に免疫異常を強めるのかどうかについては,今後確定される必要がある。」 「HTLV−V感染の正確なナチュラル・ヒストリーは,更に数年経ないと判明しないだろう。現在のデータは,HTLV−V感染はおそらく,ほとんどの患者にとって必然的にエイズに至らしめるものではないだろうことを示唆している。HTLV−V抗体陽性の男性同性愛者における累積エイズ発症率はわずかに5%から20%台であり(ゴダートの未刊行データ,昭和60年2月),抗体陽性の血友病患者についての本研究において,3年以上の観察期間におけるエイズ及びエイズ様疾病の累積発生率はさらに低く2%から4%台である。」 「リンパ節症及びヘルパーT細胞の低値とHTLV−V抗体出現後の長い潜伏期間との関連は急性感染というよりむしろ進行性の無痛症過程を示唆するものである。この過程が,HTLV−V抗原により開始された免疫反応の異常な部分なのか,あるいは慢性的HTLV−V感染活性の結果なのかは今後観察される必要がある。後者の説明は,リンパ節症に罹患した男性同性愛者から多数のHTLV−Vが分離されたこと及び輸血関連エイズ症例における2年以上という同様の潜伏期間によって支持される。前者の説明は,エイズ関連の異常を持った血友病患者の大半が抗体陽転後4,5年もエイズを発症していないことによって支持される。仮に,HTLV−V抗体の中に防御性のものがあるとすれば,大半の血友病患者が,分画濃縮製剤の凍結乾燥過程で分断された,不完全な,感染力の無い抗原によって有効に免疫性を与えられているのかもしれない。もしそうであれば,不完全な非感染性抗原から中和抗体を形成する前に希釈されていないウイルスに曝露されるほんの数%の者がエイズを発症することになるだろう。これらの質問に答えるには,第[因子製剤輸注者の血清中のHTLV−V抗原及び抗体を測定する,より広い研究と,より長期の観察が必要であろう。」 以上の記載によれば,著者(ギャロ博士)らは,この論文の執筆当時,HTLV−V感染は「おそらく,ほとんどの患者にとって必然的にエイズに至らしめるものではない」という推測をしていたこと,さらに,男性同性愛者や輸血の場合とは異なり,血友病患者の抗体陽性者については,濃縮製剤の製造過程における凍結乾燥という操作によりウイルスが破壊(分断)され,大半の血友病患者が「不完全な,感染力の無い抗原によって有効に免疫性を与えられている」という可能性を認め,その仮説が正しければHIV抗体陽性血友病患者のエイズ生涯発症率は「ほんの数%」であろうと推測し,その点についての結論を出すにはさらなる研究・観察を必要とすると考えていたことが明らかである。抗体陽性の血友病患者からも累積で2〜4%台のエイズあるいはエイズ様疾病が発生しているというのであるから,その中に「完全なウイルス」に感染した者がいると考えられることはもとより当然であるが,他方において,男性同性愛者よりもずっと発症者の割合が少ないという「疫学的データ」も当時存在したことから,上記のような可能性を考えていたものと理解される。また,当時は既に,濃縮製剤を製造する凍結乾燥過程においても,ウイルスは2ないし3対数不活化されるというデータも存したものであり,このように不活化されたウイルスないしウイルス断片が血友病患者に輸注されることも,上記のような推測の根拠となり得るものであったと考えられる。 なお,検察官は,論告要旨248頁において,当時の米国における血友病患者のエイズ発症者数に言及するなどして,「血友病患者に限っては他のリスクグループとは抗体陽性の意味が異なり抗体陽性者がエイズを発症することはないなどとする合理的な根拠は全く存在しなかった」と主張している。しかし,本件における「抗体陽性の意味が血友病患者において異なる」かという争点は,「抗体陽性の血友病患者がエイズを発症することはない」かどうかでなく,「抗体陽性の血友病患者がエイズを発症する可能性(発症率)がどのように考えられていたか,特に男性同性愛者におけるそれと比較してどうか」という点にある。そして,この論文の著者(ギャロ博士)らは,検察官の主張する発症者数自体を,その当時の米国における血友病患者中の抗体陽性者の推定数に照らして算出した発症率が,男性同性愛者のそれと比較してずっと低かったことから,抗体陽性の血友病患者の中には有効な免疫を備えた者が含まれ(抗体陽性の第1及び第3の意味に関連),そのエイズ発症率は将来的にも男性同性愛者のそれより低く,累積発症率としても数%程度にとどまる(抗体陽性の第4の意味に関連)という可能性があり,こうした血友病患者における抗体陽性の意味を確定的に判断するには,さらなる研究・観察が必要であると考えていたものと認められる。 5.3.2.6 「ネイチャー」誌昭和60年7月4日号の論文 また,ギャロ博士は,「ネイチャー」誌昭和60年7月4日号に掲載された,ロバートグロフ博士らとの共著論文「エイズ及びエイズ関連複合症の患者におけるHTLV−V中和抗体」(昭和60年1月28日受領と記載されているもの)において,次のとおり述べている。 冒頭の太字部分において,「H9細胞のHTLV−V感染を中和することができる自然抗体が,成人のエイズ患者及びARC患者の大多数に見られたが,正常で健康な異性愛の対照群には見られなかった。ARC 患者の抗体力価の相乗平均は,エイズ患者のそれの2倍であり,抗体陽性の健康な同性愛者2名ではさらに高かった。このことは,ウイルスの中和抗体が生体内で防御効果を発揮しているかもしれないことを示唆している。こうした抗体が存在していることは,HTLV−Vに対する免疫学的反応を示唆するものであり,このことは潜在的に,治療上,有利に利用できるかもしれない。ここで用いられた方法論は,将来のワクチン開発のモニターに有用であろう。」などと述べられており,また,レトロウイルスであるHTLV−T及びHTLV−Uについて,「これらに対して特異的な中和抗体は以前に認められている」などの記載がある。 本文においては,「このウイルス中和抗体が生体内での防御をもたらすのかどうか,そしてこれが将来のワクチンへ向けてのアプローチに関連するかどうかは,今後の検討課題である。他のレトロウイルスの知識から,HTLV−V中和抗体の役割は,ビスナ・ウイルスのシステムにおける中和抗体の役割に類似しているのではないかという疑問が生まれるが,このウイルスでは感染は持続的であり,これによる疾病はゆっくりと進行する。ビスナ・ウイルスによって誘導された中和抗体は,特異性の範囲が狭く,選択的な圧力をかけることにより,疾患の過程で,中和されない変異ウイルスを複製する。このメカニズムはエイズにも当てはまる可能性があるが,それは分離されたHTLV−Vは特にエンベロープ域においてゲノム変異の幅があることを示しており,また,HTLV−Vのビスナ・ウイルスとの類似性が最近示された(「サイエンス」誌昭和60年226号のゴードンらの論文参照)ためである。HTLV−V中和抗体がウイルス変異体に選択的な圧力をかけているかどうかを決定するためには,疾病のあらゆる過程にある者から,一連の分離ウイルスと血清サンプルを入手することが必要であろう。」との記載がある。 5.3.2.7 ギャロ博士の嘱託尋問調書及び陳述書 本件においては,ギャロ博士自身の本件当時を回顧した供述として,被告人に対する刑事事件の国際捜査共助手続により,平成9年2月26日,米国メリーランド州のボルチモア地区連邦検察官事務所で実施されたギャロ博士の嘱託尋問調書及び弁護人の依頼に基づき同博士が作成した陳述書が証拠として提出されている。ギャロ博士の嘱託尋問における供述のうち,抗体陽性の意味に対する当時の認識に関する部分の要旨は,次のとおりである。 「抗体検査の結果が何を意味しているか,私たちは判っていたが,公衆衛生当局者は,この時,これが何を意味しているか判らないと言っていた。この点は,安部博士のために注目すべき重要なことである。多くの米国の公衆衛生当局者は,抗体陽性が何を意味しているか判らず,おそらく保護されているのだろうと未だに議論をしていた。私たちは,最初から,レトロウイルスでは,抗体があることは感染していることであり,ウイルスが複製しつつあり,存在していることを意味すると主張していたが,この時点では,世界の誰もがこれを理解したわけではない。」 「検査結果が陽性ということは,文字どおりには,ウイルスに対する抗体を持っていることを意味する。曝露された直後であり,感染していないところで,ちょうど抗体ができたところをとらえたということはありえるが,実務的には,99.999%の場合,抗体陽性は感染していることを意味する。しかし,必ずしも全員がこのことを知り,あるいは理解していたわけではないことに注目することが重要である。私たちは判っていたし,ウイルス学の中の極めて特殊な分野であるレトロウイルス学で働いている人たちは知っていた。私たちはこのことを強調した。これに抵抗する人もいたが,それは他の種類のウイルスの経験があり,そこでは抗体を持っていることは保護されている可能性を意味したためである。これは,遺伝子の中に入り込むウイルスにはあてはまらないのである。」 また,上記陳述書には,次のような記載がある。 「HIVが科学界で原因体であると示されたのは,私たちの論文が昭和59年5月に公表された時だったのであり,この時も,そしてそのしばらく後ですら,多くの臨床医と何人かの公衆衛生当局者及び科学者たちは,血清中の抗体が陽性であることは感染を意味することを理解しませんでした。彼らは,これは曝露を示すもの,及び/又は,いくつかの微生物についてのように,感染に対する防御の証拠でありうると考えたのです。確かに,もっと専門家の人々は,レトロウイルスに対する抗体の存在は,感染を意味することを知っていました。・・・安部博士は,レトロウイルスに対する抗体が感染を意味していることを知るだけの専門家ではなく,HIVがエイズの真の原因であるとの証拠をすべて有していたわけでもないというのが,私の率直な意見です。」 検察官は,上記嘱託尋問における供述を引用して,ギャロ博士は,昭和59年末当時,「レトロウイルスでは,抗体とウイルスが同時に存在し得る」ことから,「HTLV−V抗体陽性者は99.999%HTLV−Vに感染している」ものと認識し,その旨を強調していたものであると主張している(論告要旨154頁)。しかし,既に見てきたとおり,本件訴訟に証拠として提出された本件当時までのギャロ博士の論文や発言中には,そのような「認識」を同博士が明示的に述べたものは見当たらず,せいぜいそのような認識をうかがわせるものとして,例えば,昭和59年9月のランセット論文における「(研究対象となった抗体陽性の男性同性愛者のうち)リンパ球サブセットが変質しているだけの者は,彼らが実際に感染性HTLV−Vあるいはその抗原を有しているか否かについて更なる実験室検査を要するであろうものの,おそらく臨床的に健康な“ウイルスキャリア状態”である。」という記載等が見当たるにすぎない。これらの証拠から見る限り,ギャロ博士の「強調」は,仮にそれが本件当時までの時点にあったと仮定しても,我が国の研究者に対してまでは伝わっておらず,米国の公衆衛生当局者らの範囲にとどまっていたものであり,しかも,その公衆衛生当局者も,ギャロ博士の見解に必ずしも賛同してはいなかったものと考えざるを得ない。のみならず,かえって,上記「ブラッド」誌論文や「JAMA」誌論文によれば,同博士は,血友病患者の抗体陽性については,「不完全な感染力のない抗原」によって生じている可能性をも想定していたものと考えざるを得ない(念のため付言すると,ギャロ博士の上記嘱託尋問における指摘は,遺伝子の中に入り込むというレトロウイルスの性質を根拠とするものであるが,感染性のあるウイルスでなく不完全な抗原により抗体陽性となるという可能性は,このようなレトロウイルスの性質を前提としても,否定されないと考えられる。)。他方において,ギャロ博士は,昭和60年10月に熊本で開催された日本臨床血液学会総会において,HTLV−Vの性質やエイズとの関係について特別講演をし,その際に,HTLV−V抗体陽性とウイルス現保有が一致しているという趣旨のことなどを話し,長尾医師,神谷医師ら出席者に対し,それまでの疑問が氷解したという強烈な印象を与えたことが認められる。すなわち,現実にも,ギャロ博士はHTLV−Vの性質やエイズとの関係について先駆的な知見を我が国の研究者らに伝えて大きな影響を及ぼしたことが認められるのであるが,上記講演は本件当時より後の時点のことである。そして,この講演内容と比較すると,上記の高松宮妃シンポジウムにおける講演内容は,HTLV−Vがエイズの原因であることを強調することが主眼とされたものであり,相当に異なるものであったといわざるを得ない。 さらに,HIV抗体陽性者(感染者)からのエイズ発症率に関する認識については,嘱託尋問では質問自体がされていないが,ギャロ博士が,陳述書において,昭和59年9月の「ランセット」論文について,同論文の対象者は,健康な男性同性愛者ではなく,一般医による治療を必要と感じていた男性同性愛者である旨を述べていることは,控え目に見ても,この論文のデータを一般化してHIV感染者からのエイズ発症率を論ずることには否定的な見解を抱いているものと考えるのが自然である。 5.3.3 モンタニエ博士らのグループの見解 モンタニエ博士,シヌシ博士ら,パスツール研究所の研究者グループも,本件当時ころ発表していた論文等が本件において多数証拠請求されている。モンタニエ博士及びシヌシ博士のHIV抗体陽性の意味やHIVの性質に関する本件当時ころの認識は,次のとおりであると認められる。 5.3.3.1 モンタニエ博士の見解 @ モンタニエ博士は,昭和59年11月の高松宮妃シンポジウムにおける発表において,多くのデータを示して「LAVが真にヒトにおけるエイズ及び関連症候群の原因因子であることは明らかである。」旨を述べたが,その最後の部分では,次のように述べている。 「それでも,LAVが不顕性の感染をも引き起こし得,幾人かの個人においては,少なくとも年単位で潜伏状態に止まることも明らかである。その後のLAS又はエイズ発症に寄与するコファクターは,現在のところ分からない。多分,LAVのDNAが組み込まれたリンパ球を活性化し,ウイルス発現の引き金を引いて,他の活性化された未感染リンパ球に拡散させるものがあるのであろう。また,成熟したT4陽性リンパ球以外の細胞が,ウイルスの貯蔵庫になっている可能性もある。これらの質問に対する解答は,臨床家,ウイルス学者,免疫学者及び分子生物学者の共同研究プログラムによってもたらされるであろう。」 すなわち,ここでは,HIV(LAV)に感染しても何らの症状を呈しない(不顕性感染)ことがあること,リンパ節腫大症候群(LAS)又はエイズ発症に寄与するコファクターがあり,ウイルス発現の引き金を引くと想定されるが,それが何であるかは今後の研究によって解明されるであろうことが述べられている。 A また,モンタニエ博士は,昭和61年7月30日発行の著書「すべての疑問に答える」において,次のように述べていた。 「エイズウイルスは,おそらくかなり長期間にわたって感染細胞の染色体の中に潜んでいる能力があり,この性質から,ウイルス感染の始まりから病気の発現までの長い潜伏期間が説明できる。同時に,まだ明らかでない要因の影響で,突然,細胞の中でウイルスが目覚め,ひとりでに激しく増殖し始めるが,この状態のもとでは,ウイルスが寄生する細胞の生存と両立せず,細胞が破壊される。エイズの場合には,免疫防御の崩壊の始まりはウイルスの出現の時期に対応する。」 この記述は,HIVの試験管内における激しい細胞傷害性と生体でのエイズ発症までの長い潜伏期間の存在との関係を,潜伏期間の間はプロウイルスとして感染細胞の染色体の中に潜んでおり,疾病の発現の段階でウイルスが増殖を始めて感染細胞を破壊するという仮説で説明しようとしたものと理解される。しかし,HIV感染症に関する現在の知見では,いわゆる無症候キャリアの時期にもT4細胞は長期間にわたって少しずつ低下を続け,それが一定程度以下に低下するとARC,次いでエイズの臨床症状を発症すると解されているところ,この著書の説明によっては,このような現実の経過を十分に説明することはできないといわざるを得ない。 B また,昭和61年発行の「病理と臨床」に掲載された長尾大医師の論文「AIDSの免疫不全」は,HIV感染とエイズ発症との関係に関するモンタニエ博士らのグループの当時の見解について,次のように紹介している。 「HIVの分離培養において,HIVに曝露したT4細胞の一部(5〜15%)だけが蛍光抗体法で染まること,また,PHAや抗原で刺激されたT4細胞だけがウイルスを放出することから,モンタニエらは次のように考えている。すなわち,HIVの初期感染後に,HIV感染が繰り返し起こるか,あるいはT4細胞を活性化するような抗原刺激が繰り返されると,T4細胞が活性化され,それに引き続いてウイルスが増殖し,その結果ウイルス感染が拡大すると思われる。この段階では,リンパ節に限局しており,リンパ節腫大が主な病変である。しかし,ウイルス感染が拡大して,骨髄の前駆細胞を含めてすべてのT4細胞が感染を受けるようになると,不可逆的なAIDSになるであろう。しかし,抗原刺激などが多くなければ,ウイルス遺伝子は発現することなく,無症状の保因者を続けることができるであろう。」 ここでは,モンタニエ博士らの特定の論文は引用されていないが,長尾医師が何の根拠もなくこのような記載をするとは考えられないから,当時実際にこうした見解が発表されていたものと認められる。また,ここで推論の前提として指摘されている「HIVの分離培養において,HIVに曝露したT4細胞の一部(5〜15%)だけが蛍光抗体法で染まること」や「PHAや抗原で刺激されたT4細胞だけがウイルスを放出すること」という事実は,当時の我が国のHIV研究の最先端にあったウイルス学者の論文でも同旨が指摘されており,当時の最先端研究者において,広く認識されていた知見であったとみられる。 C ところで,モンタニエ博士は,平成6年に出版され,平成10年に日本語訳が刊行された著書「エイズウイルスと人間の未来」において,昭和60年ころの抗体陽性の意味に関する自身の認識について,次のように述べている。 「『血清陽性』の概念についても不確かなことばかりだった。抗体はいったい感染者を保護しているものなのか,それともエイズの証拠に過ぎないものなのか? 1985(昭和60)年7月においてさえも,HIVに対する『血清陽性』の真の意味ははっきりしていなかった。陽性の人は抗体で保護されているのかどうか,エイズに進行するのか,エイズウイルスを感染させる能力をもっているのか,などについて確信をもって語ることはできなかった。この時期に至るまで,『健康なキャリア』と呼んでいたのである。最初の正確な情報を私たちが手にしたのは昭和60年のことだった。それは,昭和54年からサンフランシスコの同性愛者たちを対象として実施されたB型肝炎に関するコホート研究のデータだった。私たちはそれによって,陽性者の10%が5年以内にエイズを発症するということを知った。ほかの人たちはどうなるんだろう? まだ十分な時間も経っていないので,それは分からないことだった。しかしこの時,陽性者が持っていた抗体はエイズウイルスを中和する力がほとんどないことを確認したのである。」 以上のとおり,モンタニエ博士は,昭和60年7月まで,HIV抗体陽性者が,抗体で保護されているのかどうか(抗体陽性の第3の意味に関連)やHIVを他人に感染させ得るのかどうか(抗体陽性の第1の意味に関連)などについて,確信をもって語ることができなかったこと,昭和60年に米国の同性愛者のコホート研究のデータを知って,抗体にはHIVを中和する力がほとんどなく(抗体陽性の第3の意味に関連),抗体陽性者の10%が5年以内にエイズを発症すると知ったが,他の90%が将来どうなるかは分からなかった(抗体陽性の第2及び第4の意味に関連)ことを認めている。 5.3.3.2 シヌシ博士の見解 シヌシ博士は,昭和50年代前半からレトロウイルスの研究を始め,昭和57年末から昭和58年にかけてエイズ原因ウイルスの研究に取り組むようになり,モンタニエ博士らの研究グループの一員として,後にHIVと呼ばれることになる新しいウイルスの分離を世界で初めて報告した「サイエンス」誌昭和58年5月20日号論文(この項において「昭和58年5月のサイエンス論文」という。)の筆頭著者となり,その後も同ウイルスの研究を続け,現在はパスツール研究所レトロウイルス研究室教授の立場にあるウイルス学者である。 シヌシ博士が別件刑事事件(被告人松村明仁に対する業務上過失致死被告事件)においてした証言の調書は,本件においても取調べ済みであるが,シヌシ博士の証言は,そのレトロウイルスに関する学識経験に加え,我が国における非加熱製剤による血友病患者らの大量ウイルス感染の問題に関して,法律的にも社会的・道義的にも責任を追及されることが考えられないというその中立的立場や,HIV感染の件に非常に深くかかわっていたので,当時の状況を明確に説明することが自分の義務であると考えたというその証言の動機に照らし,また,内容自体も当時の文献における記載との基本的な矛盾が見られないことなどに照らし,信用性が高いものであると考えられる。シヌシ博士の証言の要旨は,次のとおりであった。 5.3.3.2.1 エイズの原因に関する知見の浸透 HIV(LAV)がエイズの原因ウイルスであるという知見は,昭和58年5月のサイエンス論文によって直ちに世界の医学者の間で広く認められるに至ったわけではない。実際,この論文はエイズ関連症状を持つ1名の患者からこのウイルスが分離されたというもので,この報告のみでは,このウイルスとエイズの原因とを関連づけるには十分でなく,更なる調査が必要であった。LAVがエイズの原因ウイルスであると世界の医学者の間で認められ始めたのは,ギャロ博士らのグループが昭和59年5月に同様の観察を確認して以来であり,それが広く世界で認められるようになったのは,昭和59年の1年間を通じて徐々に起こっていったプロセスであると思う。 LAV/HTLV−Vが分離されてから後にも,HTLV−Tがエイズに関連すると考えていた学者がいた。その時期には,科学者や医師の間で,まだ混乱が存在していた。ギャロ博士らのグループも,まだその時期は,HTLV−Vは,HTLV科に属するという推測をしていた。したがって,科学者の間では,HTLVという名前で混乱が生じていた。昭和60年の間にこの混乱は収まり始めていたと思うが,昭和61年の段階でも,臨床医の中にはなお混乱している者がいた。 5.3.3.2.2 HIVのウイルス学的な性質について 昭和58年5月のサイエンス論文でLAVをレトロウイルスに分類した。当時,レトロウイルスとは,ウイルスの遺伝子がRNAによってできていることと,逆転写酵素活性を持つことにより特徴づけられるという定義が,世界の医学者たちの間で10年来,既に知られていた。 LAVが試験管内及びヒトの体内でT4細胞に親和性を有するというデータは,昭和59年に「サイエンス」誌に発表した。LAVが試験管内で細胞変性性を持つことについては,そのことを示唆するウイルス産生細胞が死滅している現象を昭和58年5月のサイエンス論文で報告しており,もちろん昭和59年末ころには認識していた。しかし,LAVがヒトの体内で細胞変性性を持つかどうかというのは非常に複雑な問題であり,昭和59年末ころそのような認識はなかったし,今日ですら,その点はなお明確になったといえる状況ではない。LAVがヒトの体内で感染細胞を破壊するかについて,昭和59年末ころ言えたことは,LAVに対する抗体を有する個人においてT4細胞の消失が認められたこと,感染が起こって,その結果,T4細胞が消失しているということであり,それが果たして直接的又は間接的にLAVが体内で作用した結果であるのかは不明であった。 LAVとレンチウイルスとの関係については,昭和59年末には,LAVの構造及びその抗原に関して,レンチウイルスであるウマ伝染性貧血ウイルスに大変強い類似性を示唆しているデータを有しており,さらに,LAVがレンチウイルス科に属することを確認する一部の遺伝子に関する情報も有していた。LAVがレンチウイルスであるという分類が最終的に決定したのは,昭和60年1月から3月までの間にLAVのゲノムの配列がすべて決定されたときであった。 5.3.3.2.3 HIV抗体陽性の第1ないし第3の意味について あるウイルスがレトロウイルスに分類されたからといって,そのウイルスが持続感染を起こすとは限らない。昭和59年末当時,私の個人的な見解としては,LAVがヒトに持続感染するかもしれないと考えていたが,これは飽くまで仮説の域を出ず,実証が必要であり,特に抗体陽性の個人を長期に追跡調査したデータが必要だった。そのころは,LAVがヒトの体内で持続感染するという事実は実際に確認されてはおらず,むしろ試験管内で見た現象をもとに考えると,持続感染とは言えなかった。そのころ持続感染説の根拠になっていたのは,限られた数の抗体陽性者がウイルスと抗体の両方を持っていたという事実であり,この観察から,その抗体が防御効果を持たないという仮説も立てられた。しかし,そのころ存在したのは限定された数の個人に関する初期的な情報であり,抗体だけではウイルスを排除するのにこれらの個人において十分ではなかったというだけの情報であったので,この仮説の確証を得るためには,もっと多数の被験者の,長期に観察したデータが必要だった。 昭和59年末ころ,LAV/HTLV−V抗体がエイズに対する防御力を有しているという仮説を持つ科学者もおり,当時はその仮説を証明するデータは存在していなかったが,その可能性も排除することはできなかった。抗体が防御力を持っているものの,それだけではウイルスを排除するのには十分でないので,その抗体とウイルスが共存することもあるという例は,あらゆるウイルス感染においてあり得ることである。昭和60年には,ギャロ博士らのグループによって,試験管内でこの抗体が防御活性を持つという最初の論文が発表された。この論文は,HTLV−Vの感染においてビスナウイルスと同じ状態が認められるかもしれないと推測したものだが,当時,その証拠は全くなく,あくまでも仮説にすぎなかった。実際に抗体に対して耐性を持つウイルスが存在するという報告は,昭和61年のグロフ博士らの「ジャーナル・オブ・イムノロジー」誌の論文が最初であった。しかし,現在ですら,抗体がHIVに対して持つ防御的な役割については明確と言える状態から程遠い。 前記5.3.3.1の昭和59年11月の高松宮妃シンポジウムにおけるモンタニエ博士の発表における「ウイルス感染がLAVに感染した供血者由来の抗血友病製剤を介して起こった」という記述は,当時の我々のグループの考えであった。しかし,ここで報告しているデータを我々が示したとき,フランスの血液銀行関係者など一部の者は,血友病患者は抗体を持っていてもウイルス自体は持っていないという可能性を除外することはできないと主張した。学者の間でも,抗体を持っているということはウイルスを持っていることであるという考えと,抗体が存在するということは抗体がウイルスを排除してしまったのだという考えに意見が分かれていた。 モンタニエ博士の前記5.3.3.1の著書「エイズウイルスと人間の未来」の記述について,異論はない。ただし,ここで用いられている「健康なキャリア」という言葉については,当時,その定義は明確でなかった。第1のグループは,この言葉をウイルスを保有しているが発症していない者であると理解していたが,第2のグループは,これを単に抗体を有しているのみであると理解していた。 5.3.3.2.4 HIV抗体陽性の第4の意味について 昭和59年末ころ,LAV抗体陽性者におけるエイズ発症率を正確に見積もることは非常に難しい状態であり,抗体陽性者が最終的に完全なエイズを発症するであろうと確実に予測することは不可能であった。科学者たちの意見は2つに分かれており,私を含む何人かの科学者たちは,LAV抗体を持っている人々のうち,大部分の人がいつの日か発症するかもしれないと考えていたが,別の考え方の科学者たちは,抗体が存在することは,発症に対してむしろ防御的であることを示唆しているという仮説を立てていた。当時は,男性同性愛者の抗体陽性者のコホートから得られた幾つかの情報のみがあったが,その情報では,疾病の発症率は,見掛け上は低いことが示されていた。当時の推定では10%以下であったと思う。しかし,その後,同じコホートの長期のフォローアップの結果や,また他のコホートの長期のフォローアップの結果として,疾病の発症率は過小評価されていたことが分かった。 なお,ビスナ・マエディウイルスに感染したヒツジの脳炎の発症率からLAV抗体陽性者の発症率を予測するなどということは,科学的に正しいことではない。 LAV抗体陽性という所見だけでエイズの発症率や予後を正確に推定することが可能になり始めたのは1980年代の末である。個人的見解としては,昭和60年4月中旬にアトランタで開催されたエイズ国際会議において初めて,出席していた科学者や臨床家たちが,疾病の発症率が非常に高いかもしれない,その前に考えていたより高いかもしれないということを理解したのだと思う。西ヨーロッパの臨床医の多くが,LAV抗体陽性がエイズ感染を意味し,かつ症状の重篤性や予後を示す指標として重要視するようになったのは,この学会のときであったと思う。 昭和59年11月ころの時点では,エイズの潜伏期間については推定することができないので,考えていなかった。そのころ私は,ウイルスを持った個人は,いつか分からないが,将来発症するであろうと考えていたが,それがエイズを発症するのか,又は別の疾患を発症するのか,何を発症するのかは分からなかった。それは主に私の動物のレトロウイルスに関する知識に基づいていたが,証拠があったわけではない。あのころ私はこれらの個人が果たしてエイズに合併する日和見感染を発症するか,又は,レトロウイルスの感染によく見られた白血病とか又はそれ以外の癌などを発症するか分からなかった。また,動物のレンチウイルスでは脳炎が起こることが分かっていたので,脳炎かもしれず,それも分からなかった。 LAVがレンチウイルスであるという前提で考えた場合には,発症率10%というのは余りに低く,発症率はもっとずっと高いと我々は考えていた。しかし,そのような考えを論文にすることは不可能だった。なぜなら情報がなく,確実にそのように言うことはできなかったし,差別を避けるために慎重になる必要があったからである。あるウイルスが遺伝子の構造等から既知のレンチウイルスに非常に近いとわかったとしても,そのウイルスが引き起こす疾病を予測することは,動物における直接の証拠,あるいはヒトにおける間接的な情報の証拠がない限り,結論づけることはできない。 なお,現在の知見では,HIV抗体陽性者で,最終的にエイズを発症しない人もいる。非常に長期的な過程を経て進行する疾患を誘発するのは感染者の80%において事実であるが,今日,約10%が長期生存者と考えられている。 5.3.3.3 検察官の主張について 以上に見てきたとおり,モンタニエ博士及びシヌシ博士が本件当時ころのエイズやHIVに関する認識として述べるところは,一見して本件における検察官の主張に反する部分が少なくないように考えられる。これに対し,検察官は,前記5.3.3.1のモンタニエ博士のサンフランシスコのコホート研究のデータに関する記載を引用した上,米国におけるコホート研究のデータは,既に@ギャロ博士らの昭和59年9月のランセット論文で報告され,A同年11月開催の第4回血友病シンポジウムでのエバット博士の報告やB同月開催の高松宮妃シンポジウムでのギャロ博士の報告でもデータ等が紹介されており,被告人もそれら報告に接していたと主張する。この主張は,仮にモンタニエ博士の当時の抗体陽性の意味に関する知見が上記著書の記載のようなものであったとしても,被告人は同博士以上の情報を有していたのだから,抗体陽性の意味を検察官主張のように理解していたはずであるというもののように解される。しかし,これらの「報告」の意味付けは各所で述べたとおりであって,これらがモンタニエ博士のいうサンフランシスコのコホート研究のデータに匹敵するような科学的価値のある情報であったと評価できるかどうかも疑問である上,@については被告人が当時この論文に接していたという証拠も存せず,むしろ,被告人とモンタニエ博士の専門分野の相違にかんがみれば,同論文に目を通していた可能性はモンタニエ博士の方がはるかに高いものと推測するのが自然であるし,Bについては,モンタニエ博士は同じシンポジウムの報告者であったものである。また,Aについても,本件当時,モンタニエ博士らのグループとCDCが密接な協力関係のもとにLAV研究を進めていたことは本件証拠上明らかであり,CDCのデータについても,モンタニエ博士らのグループは被告人以上に精通していたものとみるのが自然である。 さらに,検察官は,HIVの持続感染性やHIV抗体の防御性に関する昭和59年末当時の情報や認識に関するシヌシ博士の証言について,@自らの研究では,エイズ患者やHIV抗体陽性者の検体数が限られていたことなどから,未だその範囲における限定された数の個体について抗体とウイルスが同時に検出され得ることを証明することができたにとどまるという趣旨であって,ギャロ博士やエバット博士の報告ないし認識と矛盾せず,いわんやこれを左右するものではない,A他方で,同博士が,「濃縮製剤を大量に投与された血友病患者群の60%がLAV抗体陽性であったことなどから,明らかに,LAVに感染した供血者由来の抗血友病製剤を介して血友病患者のウイルス感染が起こったと我々のグループは考えていた。」旨供述し,同博士らのグループにおいても,同抗体陽性者が同ウイルスに感染しているとの認識を有していたことを明らかにした,と主張する。しかし,@については,検察官が同所で引用するギャロ博士やエバット博士の報告の評価は各所で述べるとおりであって,検察官の主張するような意味付けをすることはできない上,シヌシ博士の証言が,当時同博士が得ていた米国の情報を含めたウイルス学の最新の知見を前提としてなされているものであることは,その供述自体から明らかである。また,Aについては,検察官が前記5.3.3.1の高松宮妃シンポジウムにおけるモンタニエ博士の発表の論文を示して,「これが当時の我々のグループの考えであった。」との証言を得たものであるが,ここで示された論文の「ウイルス感染が起こった(原文は“viral transmission occurred”)」は,原文の表現に照らしても,ウイルスが過去に侵入し(又はこれに加えて感染が成立し)たことを述べているに過ぎず,「抗体陽性者が現在もウイルスを保有しているかどうか」はこの表現からは不明である。 他方,LAV抗体陽性者のエイズ発症率に関するシヌシ博士の証言について,検察官は,昭和59年末当時,約10%と見積もられていたが,それは過小評価であって,我々は,発症率はもっとずっと高いと考えていた,というものであると要約して,同博士らのグループにおいても,同抗体陽性者のエイズ発症率が最終的に高率に上るとの認識を有していたことを明らかにしたものであると主張する。しかし,同博士の証言内容は上述のとおりであって,「発症率10%が過小評価であって,発症率はもっとずっと高いと考えていた」旨の供述は,「LAVがレンチウイルスである」という,ウイルス学の最先端レベルでも昭和60年1月ないし3月に確定した知見を前提としたものであるところ,当該知見は,本件当時の我が国の血友病専門医においてはほとんど理解されていなかったとみられるのであり,しかもその発症率についての「考え」は証拠がなく外部に発表することができないものであった旨述べられていることが明らかである。同博士の当時の考えは,上述のとおり,「大部分の人がいつの日か発症するかもしれないと考えていたが,それがエイズを発症するのか,又は別の疾患を発症するのかは分からなかった」というものであり,また,モンタニエ博士がサンフランシスコのコホート研究のデータを知った時点においても,抗体陽性者の大部分の予後は分からなかったと述べていることも前記5.3.3.1のとおりであって,検察官主張のように解することはできない。 5.3.4 米国CDCあるいはエバット博士の見解 米国CDCは,エイズの発生当初から本件当時に至るまで,エイズの浸淫状況について,世界で最も早くかつ充実した情報を収集し,これをその週報である「MMWR」誌により世界に発信していた機関であり,エバット博士は,その中心的立場で活躍していた研究者であった。検察官は,論告の多数の箇所において,エバット博士の第4回血友病シンポジウムにおける発言や「MMWR」誌の記事を引用して,HIV抗体陽性の意味に関する自身の主張の根拠となるものであると主張する。 そこで,米国CDCあるいはエバット博士の,HIV抗体陽性の意味やHIVの性質等に関する本件当時ころの見解について,本件訴訟に提出された当時の文献をもとに検討する。 5.3.4.1 「MMWR」誌昭和59年7月13日号 「MMWR」誌昭和59年7月13日号の記事は,HTLV−VとLAVは,おそらく同一のウイルスと思われるとして,このウイルスを「HTLV−V/LAV」と総称し,HTLV−V/LAVの抗体検査結果などを紹介したものであるが,末尾の「編集者ノート」においては,次のとおり述べている。 「これらの報告は,エイズの発症者が増加している集団においては,エイズの発症それ自体よりも,ウイルスに曝される事態が非常によく起こっていることを証明している。仮にエイズが他の多くの感染症と同じパターンをたどると仮定すると,感染に対する宿主側の反応は,潜伏性のものから重篤なものにわたることが当然予測される。これらのグループについては,エイズ関連症候群であるリンパ節腫脹,免疫異常の存在が報告される頻度が高いことから,エイズについては,より軽い症候状態が存すると疑われている。これらのデータは,ハイリスクグループの限定された検体に基づくものであるが,HTLV−V/LAV感染に対する宿主側の反応範囲は,広いであろうことを示唆している。」 「抗体陽性の検査結果が,当該検査対象者に対して持つ意味は,それほど明確でない。ある者たちについては,抗体陽性の検査結果は,抗原的に関連するウイルス感染により,あるいは,検査における非特異的因子により,偽陽性(false positive)となった可能性がある。抗体検査における偽陽性の出現頻度とその原因を見極めることは,検査結果を適正に解釈するために重要であるが,これは今後の課題であ・・・る。」 「エイズに罹患する危険性の大きい集団において,ほとんどの個人が抗体陽性であることは,多分,当該個人が,ある時点においてHTLV−V/LAVに感染したことを意味するであろうと思われる。血清学的検査のみに基づいては,当該個人が現在も感染しているのか免疫が成立しているのかは不明である(HTLV−V/LAVは,抗体が存在する場合も存在しない場合も分離されているので)が,抗体陽性者におけるウイルスの頻度は未確定である。ウイルスが検出され得る者を含めて,抗体陽性者であって,軽い症候を呈している者ないし無症候者の予後は不明瞭なままである。生命を脅かすエイズが発症するまでの潜伏期間は,1年から4年以上にわたっている。」 すなわち,ここでは,HTLV−VとLAVの同一性についてはこれを肯定する立場を採る一方で,抗体陽性という検査結果の解釈については,第1に,他のウイルス感染や非特異的な因子による偽陽性の可能性を指摘し(抗体陽性の第1の意味に関連),第2に,偽陽性ではなくHTLV−V/LAVの(過去の)感染によるものであったとしても,現在も感染しているのか免疫が成立している(いったんは感染が成立したもののウイルスが免疫により駆逐されたという意味と解される)のかは不明であるとし(抗体陽性の第1の意味に関連),第3に,ウイルスが検出され得る(すなわち,現在もウイルスに感染している)者も含めて,軽い症候を呈している者や無症候者の予後については不明瞭である(抗体陽性の第2ないし第4の意味に関連)旨が述べられている。 5.3.4.2 「MMWR」誌昭和59年10月26日号 「MMWR」誌昭和59年10月26日号は,「血友病患者におけるエイズの最新情報」と題する記事を掲載した。この記事の中では,濃縮製剤の投与を受けた者の抗体検査結果について,「CDCは,米国供血者の血液を原料とする濃縮凝固第[因子製剤の投与を受けた200名以上の者及び濃縮凝固第\因子製剤の投与を受けた36名の者について研究した。エイズウイルスに対する抗体陽性者の率は,濃縮第[因子製剤の投与を受けた者については74%,濃縮第\因子製剤の投与を受けた者については39%であった。」というデータを紹介しつつ,「血清の抗体陽性者について,どのようなエイズの危険があるかは将来の評価によってのみ決せられるであろう。」と述べて,濃縮製剤の投与を受けた抗体陽性者のエイズの危険についてはやはり不明であるという立場を採っている。 5.3.4.3 「MMWR」誌昭和60年1月11日号 「MMWR」誌昭和60年1月11日号は,「提供される血液・血漿のエイズ原因ウイルス抗体検査によるスクリーニングに関する公衆衛生局の組織間暫定勧告」と題する記事で,エイズ原因ウイルス(HTLV−V)の抗体検査,ウイルス分離,ウイルスの伝播形態,感染の自然史(ナチュラル・ヒストリー)等に関するデータを紹介した上,血液及び血漿のスクリーニングに関する勧告及び個人に対する勧告を掲載している。 「ウイルス分離の研究」の項では,「HTLV−Vは,血液,精液及び唾液から分離されており,抗体を有する多くの者から検出されている。HTLV−Vは,エイズ患者,リンパ節腫脹を有する患者又はその他のエイズ関連症状を呈する患者であって,抗体陽性である者のうち,85%ないしそれ以上の者の血液から分離されるとともに,エイズを発症している幼児の母親4名中3名からも分離されている。ウイルスは,抗体陽性であるが無症候状態にある男性同性愛者や同様の状態にある血友病患者からも分離されている。また,輸血を介してエイズの伝播に関与したと思われる抗体陽性であるハイリスク供血者の95%からもウイルスが分離されている。最初の供血から2年以上を経過しているハイリスク供血者からHTLV−Vが分離されていることは,無症候状態の者及び症状を呈している患者の双方において,ウイルス血症が何年間にもわたり存続することについての証拠を提供するものである。」などとしているが,他方において,「血液及び血漿のスクリーニング」の「供血者への告知」の項では,「現在のところ,抗体陽性の供血者の中でHTLV−Vに感染している者の割合は明らかでない。したがって,抗体陽性の検査結果は予備的なもので,真の感染を表すものではないかもしれないことを供血者に強調することが大事である。」としている。 抗体陽性者の予後については,「感染の自然史」の項において,「いくつかの研究によれば,抗体陽性の男性同性愛者の5〜19%が,既入手の血清検体につき遡及的に検査した結果,抗体陽性であることが判明した時点から2〜5年以内にエイズを発症させている。同じ期間内に,さらに25%が全身リンパ節腫脹,口腔カンジダ症又はその他のエイズ関連症状を発症させている。」というデータを紹介しながら,それに続けて,「HTLV−Vに感染した者の大多数についての長期予後は不明である。」と述べている。また,「個人に対する勧告」の項では,HTLV−Vに感染している可能性が高いと判断された者に対して与えられなければならない情報と助言として,「HTLV−Vに感染した者の長期予後は不明である。しかしながら,男性同性愛者について行った研究から得られるデータによれば,ほとんどの者について感染が持続している。」,「抗体陽性者は無症候状態であってもHTLV−Vを他人に伝播し得る。無症候状態の者についても定期的に医師の診断を受け,経過観察することが勧められなければならない。」などが挙げられている。 この記事は,昭和60年1月時点においてCDCが入手していた情報を,総括的に整理した報告とみられるものであるが,エイズやエイズ関連症状を有する抗体陽性者からのウイルス分離率が高く,無症候の抗体陽性者からもウイルスが分離されていること(抗体陽性の第1の意味に関連),男性同性愛者の研究ではほとんどの者について感染が持続していること(抗体陽性の第2の意味に関連),抗体陽性の男性同性愛者の5〜19%がエイズを発症していること(抗体陽性の第4の意味に関連)などのデータを紹介しながら,それでもなお,抗体陽性者中のHTLV−V感染者の割合は明らかでなく,抗体陽性の結果は真の感染を表すものではないかもしれない(抗体陽性の第1の意味に関連),HTLV−V感染者の長期予後は不明である(抗体陽性の第2ないし第4の意味に関連)などと述べられている。 なお,上記の抗体陽性男性同性愛者のエイズ発症データは,他の研究者の研究の引用であることが明らかであるが,同誌が引用している文献の1つは前記5.3.2.1のギャロ博士らの昭和59年9月のランセット論文であり,今1つはDarrow博士らの論文“Acquired immunodeficiency syndrome (AIDS) in a cohort of homosexual men”であるところ,後者は本件証拠関係に見当たらないので,その科学的意義を正確に位置付けることはできない。 5.3.4.4 第4回血友病シンポジウムにおけるエバット博士の発表 エバット博士は,昭和59年11月開催の第4回血友病シンポジウムの第1部「AIDSに関する現在の問題点」において「AIDS:定義,監視,疫学及び最近の発展」と題する発表を,また,第2部「各国におけるAIDSの現状」において「展望的解説」と題する発表を行い,昭和60年に発行された同シンポジウムのプロシーディング(議事録)に,前者は「血友病患者におけるエイズ」と題する論説,後者は「エイズに関する展望的理解」と題する論説として掲載された(ただし,これらの論説には,同シンポジウム開催後に発表された文献も引用されており,若干なりとも内容に加筆がなされていることが明らかである。)。これらの論説には,「抗体陽性の意味」に関するエバット博士の認識をうかがわせる次のような記載がある。 「血友病患者におけるエイズ」においては,「エイズの病因」の項において,「濃縮凝固第[因子製剤の投与を受けている患者の多くがHTLV−V,LAVにさらされていると思われるが,臨床的に明らかにエイズを発症している患者の割合が極めて低いことから,この病原に対する抗体陽性の意味はいまだ明らかではない。」と述べられている。 また,この発表後の質疑応答において,ブラックマン博士から「患者の血清がHTLV−V抗体陽性であることは,その結果としてエイズが起こるのでしょうか。それとも,抗体陽性はエイズに対する防御にもなり得るのでしょうか。」と問われたのに対し,エバット博士は,「大変良い質問です。私が答えを知っておればよいのですが(原文は,“That is an excellent question. I wish I knew the answer.”)。その質問に対して我々が有している唯一の証拠は,次のとおりです。我々は,数多くの患者が抗体陽性であり,それらの患者の多くからウイルスを分離培養できることを知っています。このことは,他のウイルス感染症と比較した場合,やや異例のことです。したがって,抗体とウイルス血症が共存し得るのです。・・・カリフォルニア州の男性同性愛者の集団に関する研究により,これらの患者のうち,相当の割合の者がエイズを発症したという証拠が得られました。1978年に抗体陽転した16名の患者のうち,4名がその後エイズを発症しました。6年間におけるエイズの発症率は,25%でした。また,これに加えて,4ないし5名がリンパ節腫脹症を呈しており,これは,明らかに,エイズの発症を示唆する基礎症候を有していることを示しています。」などと答えた。 また,「エイズに関する展望的理解」においては,次のような記載が見られる。 「科学研究者達は,現在までに,エイズの原因として,HTLV−V又はLAVと命名したレトロウイルスを分離したが,このウイルスは,T4ヘルパーリンパ球の栄養に依存し,これを崩壊させる性質を有している。世界的に見て,血友病患者における,このウイルスに対する抗体陽転は,1981年から1984年の間に発生しており,現在,濃縮第[因子製剤を使用している大部分の血友病患者は,このウイルスにさらされ続けている。」 「ヨーロッパの血友病患者における抗体陽転率は,米国の血友病患者の抗体陽転率よりも進展が遅いが,事態は同様の発生順をたどっている。」 「このウイルスが,急速に世界の大部分の地域に広がりつつあるように思われることから,地域性や境界線による危険度の差異は消滅しつつあり,輸血関連エイズの問題は,世界的な問題となるであろう。」 「幾つかの当惑させられる結果や疑問が,説明を要するものとして残っている。」とし,その第2として,「ヨーロッパにおけるエイズの流行は,米国に比べて約1年間遅れているように思われ,ヨーロッパの血友病患者については,様々な地域によって,異なった免疫状態が見られ,また,HTLV−V/LAVに対する抗体陽性率も異なる。こうした地域的な差異は,米国においてもエイズ流行の初期には見られたことであるが,時が経つにつれ,米国の血友病患者群は,類似の免疫異常状態を示すようになった。」,その第3として,「HTLV−V/LAV感染症における潜伏期間を明らかにする必要がある。我々は,最初,初期の症例からの計算に基づいて潜伏期間は1ないし2年間という印象を持っていたが,最近のデータは,3ないし4年間がおそらく真の潜伏期間であろうことを示唆している。最終的な分析をすれば,潜伏期間は更に長くなる可能性があり,多分,4ないし5年間であろう。この潜伏期間の長さは,現在,HTLV−V/LAV抗体陽性であるものの病気の徴候を示していない個人にとって意味を有する。たとえ,血液製剤による拡散を防止あるいは減少させる手続が導入された後であっても,今後3ないし4年間,エイズ症例,特に輸血関連症例が増加し続けると予測してよいであろう。」,その第4として,「現時点では,どのようなコファクターがこのウイルス感染の結果を変える可能性があるかという点については分からない。コファクターが患者のエイズに至る経過や進行を変え得る作用の有無を決するための研究が必要であり,これによって発症予防方策が開始されるであろう。血友病患者の関連では,いくつかの可能性のあるコファクターが研究しうる。@このウイルスに再感染することによる影響はどのようなものか。再感染を防止することは,最終的な臨床結果に影響を及ぼすか。A免疫機構に対する持続的な刺激(濃縮製剤中に発見される感染性因子以外の異質の抗原刺激)がもたらす影響は,どのようなものか。B例えば,サイトメガロウイルス(CMV)やエプスタインバーウイルス(EBV)等の同時に存在する感染性因子の影響はどのようなものか。」とする。 さらに,「HTLV−V/LAVに対する抗体の存在が,当該検査対象者に対してどのような意味を有するかについては,長期の研究によって明らかにされるべきである。例えば,」として「@抗体の存在は,エイズ症候群の進行過程において,エイズウイルスに対する何らかの保護を提供するか。A抗体の存在はエイズに向かうキャリア状態を示すものか。B抗体の存在は,最終的にエイズ症候群に進行する患者を特定するものか。」を挙げている。それに続けて,「初期のデータは予想以上に悪い結果を示唆している。」として,「1978年の時点で抗体陽性であった者を含む男性同性愛者の小グループについて,同年以降追跡調査をしたところ,1978年時点で抗体陽性であった者のうち,相当程度の割合の者が依然としてウイルス保有者であり,20〜25%程度の者がエイズを発症している。」と述べているが,ここでは,前記5.3.4.3の「MMWR」誌昭和60年1月11日号を引用文献として挙げている。したがって,この部分は,シンポジウムにおける発表の後に加筆されたことが明らかであるが,この内容は,上記「MMWR」誌の「5〜19%が2〜5年以内にエイズを発症させている」というデータとは異なっており,典拠となった原データは明らかではない(前記のブラックマン博士の質問に対する回答で引用したものと同じデータであるとも考えられる。)。 また,抗体検査結果の意義について,「HTLV−V/LAVに関する血清学的検査法は,血液供血者をスクリーニングし,エイズの予防戦略を開始するに当たって,極めて有益であろう。・・・HTLV−V/LAV抗体の存在は,100%ウイルス保有状態と相関していないが,この相関関係は90%を超え得る。第2,第3世代の検査方法により,最終的には,この病気を伝播させ得る個人を特定する能力が改善されるであろう。」などと述べている。 この発表後の質疑応答において,エイブル博士の「ドイツにおいては1983年までエイズ症例がなかったこと,及び,イタリアにおいては今現在もエイズ症例がないことについて,あなたは,どのような説明をされますか。」との質問に対し,エバット博士は,「その違いは,暫定的なものにすぎず,当該国の血友病患者がウイルスに曝された時期及び曝露率に起因するものと,私は考えています。例えば,現在,イタリアにおけるHTLV−V/LAVに対する抗体陽性率は,35ないし60%にすぎません。この数字は,1ないし2年前の米国におけるデータと同じであり,その当時,米国全土で2ないし3症例しかエイズ発症例が報告されていませんでした。この病気を防止するための何らかの方策が採られない限り,それらの国においても,集団における抗体陽転に引き続いて,相当の潜伏期間経過後には,エイズ症例が発見されるものと,私は予測します。」と答えた。さらに,アラン博士の質問に対する回答において,エバット博士は,免疫不全の徴候等を呈している血友病患者又は抗体陽性の血友病患者に対する治療につき,「私なら,加熱製剤を使用するでしょう。なぜなら,このウイルスに繰り返し曝されることにより,この病気の最終的な結果にどのような影響があるか判明していないからです。」と答え,エイズの発症には繰り返しウイルスに曝露されることが関係する可能性があることを示唆する発言をした。また,患者に対する告知の問題につき,「大変難しい問題があります。血友病患者とその家族に関する研究において,・・・無症候の血友病患者は,たとえ本人自身が抗体陽性であっても,家族をHTLV−V/LAVに関して抗体陽転させた例は,これまでのところありません。第二に,エイズを発症し,又は,その症候を呈している血友病患者の家族には,エイズ及びエイズ類似症候群が発症しています。したがって,患者の担当医師としては,エイズの症候を呈している患者に対しては,家族との接触における選択を可能にするために,感染の可能性を告げるでしょう。」と述べ,抗体陽性の血友病患者であっても,エイズの症候を呈している患者と無症候の患者とでは,二次感染の危険性に差異があり得るという考えを示している。 ところで,この第4回血友病シンポジウムにおけるエバット博士の発表については,本件で証人となった多くの血友病専門医らがこれを聞いていたとしてその内容に言及しているところ,とりわけエバット博士がブラックマン博士の質問に答えた発言,すなわち「大変良い質問です。私が答えを知っておればよいのですが。その質問に対して我々が有している唯一の証拠は,次のとおりです。我々は,数多くの患者が抗体陽性であり,それらの患者の多くからウイルスを分離培養できることを知っています。このことは,他のウイルス感染症と比較した場合,やや異例のことです。したがって,抗体とウイルス血症が共存し得るのです。」をめぐっては,一部の証人らの供述する受け取り方に採用できない部分が存する。 すなわち,上記のエバット博士の発言について,木下医師は,「抗体とウイルスが共存する,つまり抗体が陽性であればウイルスも存在するんだと,共存し得ると述べた」のであると証言し,山田医師も,「エバット博士は,HTLV−V/LAVに対する抗体の性質について,抗体が陽性であるということは,ウイルスがそこに共存しているというようなことを言い,自分は,その時点で,エイズ原因ウイルスに対する抗体陽性の意味については,抗体が陽性になれば,ウイルスのキャリアである,現に感染していると理解した。」と証言したのであるが,次に述べるとおり,これらの供述が当時のエバット博士の真意を捉えたものであるとは認め難い。 第1に,「抗体とウイルスが共存し得る」というのは,共存することがあるということであって,「抗体があればウイルスが存在する」ことと同じでないことは明らかである。 第2に,この第4回血友病シンポジウムの発表自体において,エバット博士は,「この病原に対する抗体陽性の意味はいまだ明らかではない。」,「HTLV−V/LAVに対する抗体の存在が,当該検査対象者に対してどのような意味を有するかについては,長期の研究によって明らかにされるべきである。例えば,@抗体の存在は,エイズ症候群の進行過程において,エイズウイルスに対する何らかの保護を提供するか,A抗体の存在はエイズに向かうキャリア状態を示すものか,B抗体の存在は,最終的にエイズ症候群に進行する患者を特定するものか,である。」などと述べている。 第3に,次のとおり,この当時ないしそれ以降に執筆・発表されたエバット博士の論文に照らせば,検察官の主張やそれに沿う証人の供述が採用できないことは一層明らかである。 5.3.4.5 エバット博士の昭和60年前半当時の論文 @ エバット博士は,「NEJM」誌昭和60年2月21日号に掲載された共著論文において,次のとおり述べている。 「血清陽性に付随する免疫異常は,LAV感染に対して多様な反応がありうることを示すから,個々の血友病患者にとってLAVの血清陽性であることの意味は不明である。血清陽性は,患者が生きたウイルスに感染していて将来エイズ症候群にかかりうることか,エイズに免疫になっていることを意味すると思われる。エイズの潜伏期は1年から5年に及ぶと考えられており,血清が陽性となった患者の大部分は1年から2年しか追跡調査されていない。血清陽性で軽微な病状ないし無症状の者の予後は,長期の評価を必要とするであろう。LAV抗体が濃縮第[因子製剤中の免疫グロブリンによって受動的に獲得された可能性はある。しかし,血友病患者は非常に多様な治療を受け,異なったロットの濃縮製剤の投与を受けているのに,血清陽性の出現は時間的に均一であるから,このような可能性はありそうにない。同様に,血清陽性が,感染性のあるウイルスによってではなく,血漿を濃縮第[因子製剤に処理する過程で破壊されたウイルスから生じた感染性のないLAV又はLAVプロテインにって生じた可能性はある。しかし,この説明は,すべての血清陽性を説明するものではない。なぜなら感染力のあるLAVが血友病患者から分離されているからである。」 すなわち,この論文において,エバット博士は,血友病患者のHIV抗体陽性の意味について,生きたウイルスに感染していることと,免疫が成立していることの双方の可能性を認め(抗体陽性の第1及び第3の意味に関連),濃縮第[因子製剤中の免疫グロブリンによって受動的に抗体が獲得された可能性には否定的な立場を採りながら,感染性のないウイルス等によって生じた可能性は否定しておらず,「感染力のあるLAVが血友病患者から分離されている」事実は,そうした解釈ですべての抗体陽性を説明することができない理由とはされているものの,逆にすべての抗体陽性血友病患者が感染力のあるHIVを保有しているなどという推測をしているわけではない。 A エバット博士は,「ブラッド」誌昭和60年6月号(65巻6号)に掲載された共著論文「抗体陽性の若年血友病患者の末梢リンパ球中のLAV/HTLV−Vの存在」(同年1月28日提出,3月12日アクセプト)において,19名の抗体陽性の若年血友病患者の末梢リンパ球についてウイルスの存否を検査したところ,うち6名からウイルスが分離されたこと,これらの患者の中でエイズ又はエイズ関連症候群になった者はいないが,リンパ節腫脹症等を呈している者はいること等のデータを記載し,次のように問題提起をしている。 「LAV/HTLV−Vに対する抗体を有し,したがってこのウイルスの感染を受けたことのある(弁護人の訳によるものであり,これに対し,検察官は『感染している』と訳している。原文は“have therefore been infected with the virus”であり,この英語自体はいずれの意味にも解されうるが,本論文の後述部分では『有効な免疫応答を備え,その結果,ウイルス感染が排除される』者の存在を想定していることに照らすと,検察官の訳文は採用できない。)個人が,この抗体の存在と同時に循環リンパ球中にウイルスを保持し続けているかという問題が生じている。」 そして,「検討」の項において,次のように述べている。 「今回の研究は,LAV/HTLV−Vに対する循環抗体を持つ血友病患者中の相当数(今回の組では33%)が,共同培養で他の細胞への感染力を有する,ウイルスに感染した循環リンパ球をも保有していることを示している。・・・この群が臨床的な変化,血清陽性,ウイルス持続を今後も表すと予測することは合理的であろう。しかし,エイズやエイズ関連複合症が表われるかどうかを予測することは不可能である。」 「LAV/HTLV−V抗体陽性の患者で,これ以外の者は,培養においてウイルスを示さなかった。これらの患者はほぼ同数の2つのグループに分けられる。1つのグループは臨床的な変化を何も見せず,他のグループはリンパ球増殖性反応を見せている。これらの患者の一人は,1978年という早い段階で保存されたサンプル中にLAVを有していたことが分かった。」 「今回の研究は,このウイルス(LAV/HTLV−V)に感染したことに対する免疫的及び臨床的な応答の範囲が幅広いことも示している。これらの下位集団のいずれについても,その最終的な結果は不明であるが,他の高リスク・グループについて血清陽転後の2ないし5年間になされた初期の観察を基にすると,ある者はエイズを発症し,ある者はエイズ関連複合症を示し,ある者は無症候性のキャリアとなり,ある者はおそらく有効な免疫応答を備え,その結果,ウイルス感染は排除される,と予測することは合理的である。考えられるいくつもの長期的な結果の中でどうなるかを明らかにするのは,長期間にわたる研究によってのみである。」 「重症の血友病患者は,2万人もの多数者から収集された血漿プールから製造された濃縮凝固因子製剤を頻繁に使用する必要がある。これらの患者は,したがって,LAV/HTLV−Vの再感染の危険を冒している。このレトロウイルスへの再感染が,病気の臨床的な経過や,抗体発見ないし培養中のウイルス分離の能力にどのような役割を有しているかは不明である。」 すなわち,エバット博士はこの研究において,HIV抗体陽性の血友病患者のうち,感染力を有するウイルスに感染した循環リンパ球を保有している約1/3の患者群については,抗体陽性やウイルス感染が持続するという予測を「合理的であろう」としながら,他方において,エイズやARCを発症するかどうかを予測することは不可能であるとし,さらにその余の約2/3の患者については,臨床的変化のない群とリンパ球増殖性反応を呈している群がほぼ同数であるとして,この結果が「HIVの感染に対する免疫的及び臨床的な応答の範囲が幅広いこと」を示しているとし,各群の最終的な結果は不明であるが,エイズを発症する者から「有効な免疫応答を備え,その結果,ウイルス感染は排除される」者までがいるだろうと予測した上,こうした結果を明らかにするのは,長期間にわたる研究によってのみであるとしている。 B エバット博士は,「AIM」誌昭和60年6月号(102巻6号)に掲載されたレーダーマン博士らとの共著論文「古典的血友病(第[因子欠乏)患者のリンパ節腫脹症関連ウイルス(LAV)に対する抗体の獲得」において,凍結乾燥因子製剤による治療を受けた血清陽性の血友病患者は,同様の治療を受けた血清陰性の血友病患者よりもT4リンパ球が少ないが,後者の血友病患者にもT4/T8比の逆転等の異常が存在したというデータを報告した上,次のように述べている。 「これらの結果についてはいくつかの説明が可能である。凍結乾燥抗血友病因子製剤で治療された血友病患者の中には,凍結乾燥された因子製剤中に存在し,濃縮製剤の製造過程で不活化された,感染力のないLAVに対する抗体を発現した者がいる可能性がある。この可能性は,レトロウイルスが,化学的及び物理的に不活化する変化を相対的に起こしやすいことによって支持される。」 すなわち,この論文において,エバット博士は,化学的・物理的に不活化を起こしやすいというレトロウイルスの性質が,凍結乾燥という濃縮製剤の製造工程と相まって,血友病患者の抗体陽性者中に「感染力のないLAVに対する抗体を発現した者がいる」という仮説を支持する根拠となり得るとしているのであって,「レトロウイルスにおいては,抗体陽性は即ウイルス現感染を意味する」などといった見解とは明らかに異なる視点に立脚しているように思われる。そして,この「濃縮製剤の製造工程でウイルスが不活化される」ことは,エバット博士自身が第4回血友病シンポジウムで紹介していたデータに裏付けられたものであり,上記仮説は,前記5.3.2.5のギャロ博士らの「JAMA」論文における推測とも相通ずるものであったとみられる。 5.3.4.6 昭和60年3月のNHF「エイズ最新情報」 また,本件当時のCDCの考え方をうかがわせるものとして,米国血友病財団(NHF)がCDCの協力を得て,昭和60年3月に作成・発行した「エイズ最新情報 エイズと血友病 あなたの疑問にお答えします」と題するパンフレットがある。これは,その体裁及び内容から,NHFがその構成員たる血友病患者に対して,エイズに関する最新の情報を分かり易く伝える目的で作成したものと認められ,そのため読者に対していたずらに不安を与えるような表現が避けられるなどの配慮がうかがわれるものではあるが,ここでは,HIV抗体陽性の意味に関して,次のような記載がある。 「抗体の存在はエイズと診断されたことになりません。」 「このウイルスに曝露されながら,エイズの徴候を何も示さない血友病患者はたくさんいます。ある研究では,重症の血友病患者の90%近くがこのウイルスに対する抗体を有することが示されています。これと対称的に,HTLV−Vに対する抗体は,エイズの危険がないと思われている人たちの1%未満で検出されています。抗体があるということは,その人がウイルスに曝露されたことがあり,これに対して免疫的な反応を示したことを意味するに過ぎません。必ずしも,感染したことを意味するわけではありませんし,HTLV−V感染症に免疫があることを意味するものでもありません。」 「血友病患者の過半数は,現在HTLV−Vに対する抗体を有していますが,これは彼らがこの因子に曝露され,免疫的な反応を示したことを意味しています。このことは,HTLV−Vは一般的には臨床的な徴候を示さないか,ごく軽い徴候しか示さず,エイズが発生するのは稀にすぎないことを意味しています。これは肝炎ウイルスの場合と同じです。血友病患者の大部分はB型肝炎ウイルスの抗体を持っていますが,重篤な肝疾患(たとえば肝硬変)に発展するのは稀です。」 「このウイルスに曝露されても,大部分の人たちはエイズにならないか,ウイルスに接触後,軽い症状にしかならないので病気とは判らないようです。」 「血友病患者がエイズになる危険はどのようなものですか?」という質問に対し,「現時点では,2万人と推定されている米国の血友病患者の僅か1%がエイズにかかっています。」 「エイズは,既に身体全体の健康が損なわれた人に発生しやすいことも,ますます明らかになってきています。したがって,バランスのとれた食事,適切な休憩などの一般的な健康増進法は,エイズの可能性を減少させるのに効果があるでしょう。」 5.3.5 アトランタ会議 昭和60年4月中旬に米国ジョージア州アトランタ市において,米国国立衛生研究所(NIH),CDC及び国連世界保健機関(WHO)の共同企画で開催された国際研究会議(アトランタ会議)では,エイズ及びHIVに関する当時の世界最先端の知見が集約して発表された。この会議で発表された情報は,後述のとおり,我が国の研究者の認識にも大きな影響を及ぼしたと認められる。 5.3.6 栗村医師の見解 栗村敬医師(本件当時鳥取大学医学部ウイルス学講座教授)は,我が国において先駆的にLAV抗体検査を始め,昭和59年11月ころ以降,その結果を厚生省の研究班会議等で報告していたという立場にあったウイルス学者である。 栗村医師は,検察官の請求にかかるギャロ博士らのグループが発表した論文及びモンタニエ博士らのグループが発表した論文は,高松宮妃シンポジウムのプロシーディング論文を除きすべてを当時読んでいたし,同シンポジウムには出席しなかったもののその抄録は読み,「MMWR」誌にはすべて目を通していたとし,また,一般の医師が目を通すことが考えにくいと思われる「薬事日報」紙の記事すらも当時読んでいたとして,これらの文献を読んだ当時の認識について,詳細に証言した。検察官の論告の「五 結果予見可能性」の「3 エイズ原因ウイルスの分離・同定とその性質の解明」及び「4 エイズに関する危険性情報の認識」に引用された英語文献のうち,栗村医師の証言に現われていないものは,高松宮妃シンポジウム及び第4回血友病シンポジウムのエバット博士の発表のプロシーディング以外には,HTLV−Vの分離以前である昭和58年6月の「ネイチャー」誌論説があるのみであり,したがって,上記証言が事実であるとすれば,同医師は検察官の主張する「危険性情報」に我が国で最も濃密に接していた研究者の一人ということになろう。 抗体陽性の第1及び第2の意味の認識に関する栗村医師の証言の要旨は,次のとおりであった。 「LAV抗体検査を始めた昭和59年10月後半ころの時点で既に,LAVとHTLV−Vは同じ性質を持った同じグループのウイルスであり,ヒトに持続感染すること,T4リンパ球に感染し,細胞傷害性を起こしてT4リンパ球を減少させること,形態学的にはレンチウイルスのグループであることなどが分かっていた。抗体陽性者が非常に高い確率でウイルスの現保有者であることは,その当時でも想定できたが,同年10月末から11月初めにかけて,日本人血友病患者の抗体陽性者の抗体価を測定したところ欧米の感染者と同じレベルであったこと及びレトロウイルスの属性から,日本人血友病患者の抗体陽性者も感染性ウイルスを保有しているキャリアであると判断した。最初の発表である昭和59年11月22日の京都大学ウイルス研究所で開かれた厚生省輸血後感染症研究班エイズ分科会(以下「京都会議」という。)以降,抗体検査の結果を発表した場では常に,LAV抗体陽性者はLAVのウイルス現保有者であると指摘していた。」 また,抗体陽性の第4の意味の認識に関する栗村医師の証言の要旨は,「エイズの発症者が次第に増えてきていること,HIVが持続感染していること,レンチウイルスであるビスナ・マエディは発症率が高いことなどから,昭和59年当時,HIV抗体陽性者のエイズ発症率は非常に高い可能性が強いと思っていた。日本人血友病患者も,当然,その当時報告されていた米国の(男性同性愛者の)HIV感染者と同様の運命をたどっていくと思っていた。」というものと理解される。 しかしながら,本件証拠関係に照らせば,栗村医師の上記証言部分は,採用することができない。その理由は,次に述べるとおりである。 第1に,栗村医師は,昭和59年11月22日の京都会議以降,昭和60年1月31日の輸血後感染症研究班診断基準小委員会,同年3月11,12日の日米医学協力プログラムの肝炎部会,同年4月3日の日本ウイルス学会のシンポジウムなど,抗体検査の結果を発表した場では常に,LAV抗体陽性者はLAVのウイルス現保有者であると指摘していたと供述するが,同学会の抄録にも,栗村医師が会議で交付した資料にも,京都会議に出席していた松田重三医師のメモにも,抗体陽性がウイルス現保有者であることを意味するような記載は全く存しない上,松田医師は,その証言において,検査結果の意味するところについては,当日は全く話題にならなかったと供述している。また,昭和60年5月以降のAIDS調査検討委員会の委員であった山田兼雄医師も,その証言において,栗村医師が同委員会で日本人血友病患者の抗体陽性率を報告した際には,栗村医師は,各施設における抗体陽性率を表にした紙を張り出して,しばらくこれを見てくださいと言って,それから紙を取り去って帰ったという記憶であると供述しており,抗体陽性はウイルス現保有者であるという説明を受けたなどとは述べていないばかりか,かえって同委員会では,山田医師自身から日本人ウイルス学者に対し,抗体があるのにウイルスがあるのは変ではないかという質問をしていたと供述している。 第2に,動物のレンチウイルスであるビスナ・マエディウイルスの発症率が高いことから発症率が高いと考えたという点については,関係証拠に照らし,十分な合理性のある推論であるとは考えられない。こうした動物のレンチウイルスから類推するという推論や,米国男性同性愛者の発症率から日本人血友病患者の発症率を類推するという推論は,ある意味で素朴な,誰もが容易に思い付きそうな類のものであるが,他方において,例えば成人T細胞白血病(ATL)については,HTLV−Tの母子感染では発症するものの,輸血や性行為による感染では発症しないという事実が存在するところ,これはウイルスの性質論から演繹できるものではなく,疫学的・経験的な事実の集積から認められているものである。同じウイルスの感染であっても,被感染者がどのような集団に属するのかによって発症率が違うということも,一般的によく見られる現象であり,EBウイルス感染症においては,民族間で発症形態が異なることが本件当時知られており,昭和59年11月29日のAIDS調査検討委員会において栗村医師のLAV抗体検査結果が話題になった際にも,このEBウイルスの例が紹介された上,レトロウイルスにも同じような側面があるという指摘がされていた。また,ビスナ・マエディウイルスやウマ伝染性貧血ウイルスよりもウイルス学的にHIVに近いウイルスであるSIVは,アフリカのサルにおいては全く疾病を発症しないのに,アジアのサルに接種すると疾病を発症する。こうした関係証拠上明らかな事情に照らすと,前記のように単純な推論をすることに十分な合理性があるとは認め難い。 のみならず,本件訴訟においては,栗村医師の執筆にかかる多くの論文等が証拠として取り調べられたが,これらの文献の内容は,以下に述べるとおり,上記の証言内容と相反するといわざるを得ない。 @ 栗村医師は,昭和60年発行の「Immunohaematology」誌7巻1号に掲載された論文「ATLウイルスとAIDSの相互関係」において,まず,ATLとAIDSの原因がいずれもレトロウイルスであるとして,レトロウイルスの特徴を略述し,ATLVについて,「このウイルスに感染すると,持続性感染が成立するものである。」,「このウイルスの感染を受けたTリンパ球にはATL-associated antigen(ATLA)が出現し,血液中にはanti-ATLA antibody(抗ATLA抗体)が見出されるようになる。したがって,このウイルスの感染を受けて持続性感染が成立しているか否かは,抗ATLA抗体の血中での存在を証明することによりわかる。」と,同ウイルスについては抗体陽性者が持続感染者であることを述べる。続いて,エイズ原因ウイルスに論を進め,LAVとHTLV−Vとの関係について,「直接対比して研究されたことはないが,両者は免疫学的に区別できないこと,OKT4細胞(ヘルパーT細胞)に親和性を持ちcytopathic(細胞傷害性)であることにより,同一ウイルスとみて間違いはあるまい。」とした上,「LAVに対する抗体を保有しているということは何を意味するのだろうか(ATLVと抗ATLA抗体の関係と同一視できるだろうか)。」と問題設定をし,これに対して,「先に述べたAIDS罹患の危険度の高いグループに属する人たちが抗体陽性であるということは,LAVが過去に体内に侵入したことを示す。しかし,その人が現在体内に感染性のLAVを保有している状態なのか,又は感染後免疫を獲得して体内よりウイルスがいなくなった状態なのか不明である。もちろんLAVは抗体が存在した状況下でも分離されているが,そのときの頻度は不明である。抗体が陽性でウイルス分離が可能であった場合でも,その予後は不明である。また,未知のウイルスでLAVと共通抗原性を持つものの存在も考えておく必要があるだろう。」と述べている。 すなわち,栗村医師は,上記論文執筆時において,LAV/HTLV−Vがレトロウイルスであること,及び抗体陽性者からウイルスが分離される例があることを指摘しながら,分離の頻度は不明であるとし,抗体陽性者が現在感染性ウイルスを保有しているかは不明であり(抗体陽性の第1の意味に関連),ウイルスが分離できた抗体陽性者についても予後は不明である(抗体陽性の第2ないし第4の意味に関連)と考えていたことが明らかである。このような栗村医師の見解は,「HIVは,その発見当初から,感染を受けた個体が持続感染した状態になり,体内においてウイルスと抗体が共存するものと想定されていた」という検察官の主張と相反するものであるといわざるを得ない。 A 次に,昭和60年発行の日本輸血学会雑誌第31巻第3号の土江秀明博士と共著の論文「獲得性免疫不全症候群(AIDS)ウイルス」がある。この論文の執筆・発表時期につき,栗村医師は昭和60年3月ころに執筆し,同年5月ないし6月ころに発表されたものだと思うと述べているが,検査対象となった血友病患者が259名であり,同年4月3日に開催された日本ウイルス学会シンポジウムにおける発表時の対象者163名より100名近く増加していることに照らすと,この学会発表用のデータをまとめた時期より後に執筆されたものとみることが自然である。 この論文において,栗村医師は,「2〜5年という潜伏期の後にAIDSを発症することは,LAVがLentivirinaeの性質を備えていることを示すものであろう。」,「血友病患者259名中74名が抗LAV陽性,うち7名は抗ATLAをも保有・・・輸入血液製剤投与が原因は間違いあるまい。」とした上,「次に問題になることは抗体陽性ということが個人レベルでどのような意味を持つかということである。」として,抗体陽性の意味について論じている。 ここではまず,「抗体が存在する(上昇する)ということはウイルスという抗原が体内に入ったことを示すもので,必ずしも感染性のウイルスが過去に入ったとか,現在感染性ウイルスが体内に存在していることを示すものではない。」と一般論を述べた後,「少量の不活化ウイルスのために血友病患者が抗LAVをもつようになったと考え難いと思われたので,次に述べる抗LAVの定量を行ってみた。・・・抗体陽性血友病患者72名の大部分はAIDS患者と同じく・・・高い抗体価を示した。この事実は血友病患者の体内でLAVが増殖したものと考えて差し支えあるまい。」とした上,段落を変えて,「抗体陽性であることと体内に感染性ウイルスが存在しているか否かの関係について考察してみる。すなわち抗体陽性者よりどの程度ウイルスが分離できるかということである。」とし,抗体陽性エイズ患者の85%以上からウイルスが分離されているなどの「MMWR」誌昭和60年1月11日号と同旨のウイルス分離データを記載した上,「このことは抗体陽性であることが感染源になりうる可能性の高いことを示している。」とし,「今後は我が国でもこのような事実が存在するかどうかを調べるためにウイルス分離を試みる必要があろう。」と結んでいる。 ここでは,抗体価が高いことによって,LAVが増殖したこと,すなわち,前記の一般論としての可能性のうち,「感染性のウイルスが過去に入った」こと及びそのウイルスが増殖(して感染が成立)したことは推定しているものの,「現在感染性ウイルスが体内に存在しているか」という問題は,抗体陽性者からどの程度ウイルスが分離できるかということであるとし,米国のデータを紹介しつつ,「今後は我が国でもこのような事実が存在するかどうかを調べるためにウイルス分離を試みる必要があろう。」としているのであり,少なくとも我が国の抗体陽性者については結論を留保しているものと解釈せざるを得ない。そして,栗村医師は,その証言中においても,ここで「ウイルス分離を試みる必要がある」とした理由は,これを行わないと,抗体陽性者の中で本当のキャリアの率はどれくらいあるかが当時は分からなかったからであると供述している。 B これに対し,栗村医師は,(本件第一投与行為の後であるが,)日本医事新報昭和60年5月25日号掲載の土江秀明博士と共著の論説「輸血に必要なウイルス学」においては,「LAVはレトロウイルス科に属し,一旦生体内に入ると持続性感染が起こることが知られている。したがって抗体陽性となるということは過去に感染し,体内にウイルスを持っているということを示すとみてよい。事実ギャロらは抗体陽性者の80%以上よりウイルスを分離することに成功している。このウイルスの場合は『過去の感染』イコール『現在のウイルス保有』ということになる。血液中の抗体のウイルスに対する中和の力価は非常に低いようである。」,「この第8因子に含まれるウイルスは不活化されてしまっているものが抗原としてのみ働いたものか,または生きたウイルスが体内で増殖した結果抗体上昇が見られたのか問題となる。結論から言うと,『免疫された』というより,『感染を受けた』といって間違いない。」とし,抗体陽性の第1及び第2の意味がいずれも積極に解されること,及び抗体陽性の第3の意味につき,「中和の力価が非常に低い」旨を述べるに至っている。 この論説は,検察官の主張に沿う内容のものとしては,本件訴訟に提出された邦語文献中で最も早い時期のものであり,栗村医師自身が,抗体陽性は感染性ウイルスを保有していると初めて書いたのはこの文献かもしれないと証言している。そして,この論説には,昭和60年4月3日までの米国の小児のエイズ患者数が記載されており,こうした米国のデータを入手した時期以降に執筆されたことが明らかであるが,栗村医師が昭和60年4月15日から17日まで開催されたアトランタ会議に出席していたことに照らすと,同会議に出席した後に執筆されたものである可能性が強いと考えられる。そして,関係証拠によれば,同会議においては,「本症の場合,抗体陽性は即,感染性ウイルス陽性として対処しなくてはならない。」,「本ウイルス感染は長期にわたり,恐らくは生涯続くものと思われる。」などの報告がなされたことが認められる。そうだとすれば,栗村医師は,同会議におけるこのような情報を得たことにより,本論説で記載しているような認識を抱くに至ったか,あるいは,外部に発表できる程度の確信をもってそのような認識を抱くに至ったものと推認することが自然である。 そして,このアトランタ会議出席以降に執筆されたと認められる論文等においては,栗村医師は,「いったん体内に生きたウイルスが入れば,永久的に生体内に止まるものとみて差し支えない。また,血中には抗体も出現して,ウイルスと抗体は共存状態となるのであるが,・・・env遺伝子に頻発する突然変異のため,抗体によるウイルスの中和は起こりにくいようである。」などとして,抗体陽性の第1ないし第3の意味については,検察官の主張におおむね沿う認識を述べるようになっているが,これらはいずれも本件第一投与行為より後に発表されたものである。また,抗体陽性の第4の意味(抗体陽性者からのエイズ発症率)に関しては,栗村医師の論文や発言においてこれに触れたものは,本件当時までに発表されたものにはほとんど見当たらず,本件当時より少し後の時期に発表されたものについて見ると,その内容は,以下のとおり,上記証言の内容と乖離することが甚だしいものばかりである。 C 栗村医師は,昭和60年7月20日に放送された山田兼雄医師,塩川優一医師との日本短波放送特別番組の座談会「<明日の治療指針>AIDSをめぐって」において,塩川医師の「ウイルスが体内に入った人はみんな病気になるのでしょうか。」という質問に対し,「アメリカ人の場合,そのウイルスの感染を受けた100万人中1万人がこれまでに発症しておりますから,実際に発症する率は非常に低いと思われます。」と答えている。 D 「Medical Immunology」誌昭和61年2月号(11巻2号)に掲載された栗村医師の論文「AIDSウイルス感染−日本の現況−」は,本文中で昭和60年10月22日の「日本で発生したエイズ患者」を引用していることから,そのころ以降に執筆されたことが明らかなものであるが,「今後の患者発生」の項において,「100万人のキャリアのいるアメリカでの患者数が間もなく2万人となることが予想されている状況を併せて考えると,一応の推測はできよう。さらに・・・最近は同性愛者の患者が多くなっている点も考えておく必要があるだろう。単純に考えると現在のままで感染の拡大がなかったとしても,数十人の患者がでてもよいと思われる。」と述べている。 E 栗村医師は,昭和61年発行の「実験医学」誌4巻2号所収の論文「AIDSの血清疫学」(本文中で昭和60年10月22日までに確認された日本のAIDS患者は11名であることが記載されており,同日以降に執筆されたものと認められる。)において,米国内の輸血によるエイズ発症者の比率が増加してきたことを紹介した上,「輸血による感染は,血液スクリーニングの開始により,今後は増えることなく患者の増加もあと2〜3年で止まると思われる。」と述べている。つまり,栗村医師は,この論文を執筆した時点において,輸血による感染者は今後は増えないことから,患者の増加が今後2〜3年で止まること,換言すれば,感染者はその時点までに発症しなければいわゆる保因者のままでとどまるという想定をしていたものと考えざるを得ない。 さらに,栗村医師は,「1万5000人を超えるエイズ患者の中でアメリカにおける東洋系の患者の数が62名にすぎないことも注目される。アメリカの全人口の約1.5%が東洋人であるのをみると,東洋人患者が全体の0.4%と非常に低い。これには人種的な差異の存在の可能性のほかに,社会生活習慣の違いも大きな原因の1つになっていると思われる。」と述べている。仮に栗村医師が,その証言で述べるとおり,本件当時において「日本人血友病患者も,当然,その当時報告されていた米国の(男性同性愛者の)HTLV−V感染者と同様の運命をたどっていくと思っていた。」という認識を抱いていたとすれば,このような記述をするということは全く考え難いところである。続けて,栗村医師は,血友病患者中のウイルス感染者を5000人中1500人などと試算し,「約同数の男性同性愛者が感染しているとみても不当ではないだろう」として,ウイルス感染者を3000人程度と想定した上,「外国より過去に輸入された血漿製剤の注射を受けた血友病患者,すでにAIDSウイルスの感染を受けている男性同性愛者の中より数十人ないしはそれを上回る患者の出ることは覚悟せねばなるまい。」と述べているが,この今後の患者予測も,証言で述べていることとはかけ離れたものである。 F さらに,栗村医師は,昭和61年発行の「治療学」誌17巻1号所収の論文「AIDS−起源と将来予測される展開−」(本文中に昭和61年のHTLV−W発見の文献が引用されており,同年に執筆されたものと認められる。)において,次のように述べている。 「LAV/HTLV−Vに感染すると・・・2〜8週には抗体陽性となる。このうちの10〜20%は2〜5年の潜伏期の後にAIDS発症ということになる。・・・このような典型的な症状に至らず前駆段階で終わるものをARCと呼び,ウイルス感染を受けたものの20〜30%がこの状態になるといわれる。」 すなわち,昭和61年に入ってからも,栗村医師は,ARCとはエイズの発症には至らずその前駆段階で終わるものであると理解しており,したがって,ここで述べられている10〜20%のエイズ発症者以外の80〜90%の感染者については,観察期間内にエイズを発症しなかったというにとどまらず,「エイズを発症しない感染者」であると理解していたとみるのが自然である。 5.3.7 AIDS調査検討委員会の見解 昭和59年9月,「エイズが我が国に侵入した場合における情報を的確かつ迅速に把握することによりその流行防止を図る」ことを目的として,厚生省保健医療局感染症対策課の所管するAIDS調査検討委員会が設置され,同年11月には,栗村医師の抗体検査結果や,被告人がギャロ博士に依頼した帝京大学病院の血友病患者のHTLV−V抗体検査(以下「ギャロ検査」という。)結果の情報を得るなどして活動していた。 同委員会の議事要旨,メモ,各委員が本件当時ころ発表していた論文の記載等の関係証拠によれば,栗村医師の抗体検査結果が発表された当初は,委員の間においても,検査方法の信頼性や他の抗体の関与による非特異的反応の可能性など,抗体陽性がウイルス感染を意味するのか自体にも疑問が指摘されていたこと,昭和60年1月ころまでは,HIVがエイズの原因であるという見解自体にも慎重な意見があったこと,同年3月ころの時点でも,エイズあるいはその関連症状を発症していないHIV抗体陽性者からの二次感染に配慮するところまでは,エイズとHIVとの関係やHIV抗体陽性の意味を明確に認識するに至っていなかったこと,同年4月のアトランタ会議に出席した委員から情報がもたらされたことによって,こうした点に関する委員の理解は深まったが,HIV感染者からのエイズ発症率については,同年5月末の時点においても,男性同性愛者では5ないし20%であるが,血友病患者では2%といわれている旨を委員のウイルス学者が紹介するような状況であったことなどが認められる。 5.3.8 木下医師及び松田医師の見解 帝京大学病院第一内科の血液研究室に所属する血友病専門医であった木下忠俊医師(本件当時帝京大学医学部助教授)は,その証言において,ギャロ博士の4点論文を読む前から,レトロウイルスは,いったん感染すると免疫の働きで完全に排除することは不可能であり,抗体が検出されればウイルスも存在するといえることを知っており,上記4点論文を読んで,HTLV−VがT4細胞を宿主細胞として細胞傷害性を有するレトロウイルスであることから,感染者のエイズ発症率が高いと認識したなどと供述した。 しかしながら,この木下医師の供述は,@他の血友病専門医の当時の認識のみならず,4点論文を執筆したギャロ博士自身や,モンタニエ博士,シヌシ博士,エバット博士らの当時の認識に比較しても突出しており,専門のウイルス学者でもない木下医師がそのようなことを認識したというのは誠に不自然であって,もとより同医師が当時そのような考えを論文等に発表したことはないこと,Aその供述内容には,試験管内の観察に基づく「細胞傷害性」を直ちに生体内に当てはめるという飛躍があるが,本件当時においては,世界のHIV研究の最先端にあるウイルス学者の間でも,HIVの生体内における細胞傷害効果の詳細については不明であると考えられていたものと認められること,B「ギャロ博士の4点論文に記載された情報によって,HIV感染者のエイズ発症率が高いことが想定された。」旨の木下医師の供述内容は,むしろ本件の捜査段階において,検察官が,当時のウイルス学者の意見であるとして,被告人らに対する取調べで教示していた内容と一致しているが,本件審理においては,そのようなウイルス学者の供述は全く得られなかったものであって,こうした証拠関係及び後記7.3のような木下医師の立場に照らすと,同医師が,自身に対する責任の追及を緩和するため検察官に迎合し,その誘導に沿って安易に供述したのではないかという疑いは払拭できないこと,C木下医師が血液研究室の責任者の地位を引き継いだ昭和62年4月以降における本件被害者に対する治療をみても,エイズに関して高い危険認識を有していた医師によるものとは考え難いことなどの点に照らし,そのまま採用することはできない。 また,血液研究室に所属する免疫専門医であった松田重三医師(本件当時帝京大学医学部助教授)は,その証言において,昭和58年初めころ,帝京大学の集談会でウイルス学者の話を聞き,ウイルス学の本を読むなどして,レトロウイルスが免疫応答によって排除されず生涯にわたって持続感染することなどを知った,ギャロ博士の4点論文を読んで,HTLV−Vが持続感染することが分かった,感染者からのエイズ発症率については,第4回血友病シンポジウムのエバット博士の発表を聞き,昭和59年9月のギャロ博士らのランセット論文を読んで,非常に高いことを知って驚いたなどと供述した。 しかし,この松田医師の供述も,@木下医師と同様に,その話を聞いたとするウイルス学者を含め,当時の文献から認められるウイルス学者や臨床医の認識に照らして突出しており,不自然であること,A松田医師の当時発表した論文からうかがわれる認識にも反すること,B松田医師は,昭和60年3月の患者会において,エイズ発症率はごくわずかであるという発言をしていたことなどに照らし,やはりそのまま採用することはできない。 5.3.9 被告人の認識 被告人自身の本件当時におけるHIV抗体陽性の意味の認識についてみると,本件の捜査段階での供述は,「ギャロ博士の4点論文により,HTLV−Vがレトロウイルスであること,T4細胞親和性・細胞傷害性を有することなどは分かったし,抗体陽性が現感染を示すことも分かっていたが,生涯にわたる持続感染性を有することは知らなかったため,そのようなデータがエイズの極めて高い発症率を示唆するものであることまでは分からず,生涯発症率は漠然と10%程度と考えていた。」などというものであった。これに対し,本件公判においては,被告人は,「抗体陽性の意味については,免疫学的に,陽性者が感染,発症のリスクを負っているか否かについては,いろいろと異なった解釈ができるが,この時点でははっきりと分かることではなかった。」旨を陳述したが,それ以上に詳細な供述は得られていない状況にある。 被告人が発表していた著書や論文類の記載等に照らすと,昭和61年当時においては,被告人が,@HIVでは抗原と抗体が同時に血中で共存する(抗体陽性の第1の意味に関連),AHIV抗体の力は弱く,その働きも遅い(抗体陽性の第3の意味に関連),BHIV抗体陽性者からエイズが発病する率はおおむね10%程度である(抗体陽性の第4の意味に関連)などという認識を有していたことが認められるが,本件当時までに執筆されたとみられる論文類においては,これらに相当する記述が存在しない。抗体陽性と感染との関係については,本件投与行為ころまでに,被告人が,HIV抗体陽性者はウイルスに感染している者であるという基本的認識を抱いていたことは認められる。しかし,だからといって,そのことから直ちに,従来の感染症の常識とは大きく異なるHIV感染症の性質を,被告人が本件投与行為ころまでに認識していたはずであるとみることはできない。このことは,内外の研究者の当時の認識に照らせば,一般論としてもそのように考えられるが,被告人自身による著書等の記載によれば,被告人の認識も,こうしたHIVの特殊な性質を本件当時においては認識していなかったものとみるのが自然である。 本件当時における被告人の非加熱製剤投与によるHIV感染・エイズ発症・死亡の結果予見可能性の前提となる情報には,ギャロ検査結果等のHIV抗体検査の結果や,帝京大1号・2号症例の存在など,被告人ら帝京大学血液研究室グループが,他の医療施設の血友病専門医に先駆けて接した情報があった。しかし,抗体検査結果については,抗体陽性の意味の認識の点とともに,その検査自体の信頼性という問題がある。昭和59年後半ころ,帝京大学病院の血友病患者のHIV抗体検査は,ギャロ検査のほか2つの検査が行われていたが,これらの検査結果は,その多くが一致していたとはいえるものの,ある程度の不一致があったことが認められ,こうした不一致は,当時の抗体検査が開発途上にあったことによるものであると考えられる。したがって,この検査結果を,その後の検査手法が確立し,臨床レベルで広く行われるようになった時点での抗体検査結果と全く同様のものとして考慮することは相当でないと考えられる。 また,帝京大1号・2号症例についても,現時点の知見では,この2名の患者がエイズを発症して死亡したと認定できるとしても,当時においても現在と同様にそのような事実を認識し得たということに直ちになるわけではない。帝京大1号症例は,昭和58年度のエイズ研究班において,班長であった被告人の強い主張にもかかわらず,エイズ認定がされなかった。被告人は,帝京大1号・2号症例について,これらがエイズであると考えていたものと認められるが,そもそも,ある医師が一定の考えを得たからといって,それが医学界一般に受け入れられる前に,あるいは医学界の反応がむしろ否定的である間に,自らはその考えに基づいて行動すべきであるとし,結果予見可能性の前提事実として考慮すべきか否かは,一つの問題である。この場合,結果的にその考えが誤りであったとすれば,それに基づいた行動から生じた不都合な結果について,かえって過失責任を追及されることすら考えられる。したがって,そのような場合には,まずは自身の見解の正しさについて,医学界のコンセンサスを得ようとするのが,通常の医師のとる行動様式ではないかと考えられる。本件についても,ギャロ博士らに対する抗体検査の依頼は,帝京大1号症例がエイズ研究班でエイズと認定されなかったという経緯を受けて,被告人が改めて自身の見解の正しさの根拠を得て医学界に対しそれを認めさせることを主な目的の一つとしていたことは,確かであるように思われる。帝京大1号・2号症例は,結局,本件第一投与行為の後である昭和60年5月30日のAIDS調査検討委員会に至って,正式にエイズと認定されたものであるが,そこに至るまでに紆余曲折があったことには留意する必要があるというべきである。 ところで,被告人の検察官調書には,ギャロ検査の結果,感染している患者が23名おり,そのうち帝京大1号・2号症例の2名がエイズを発症したことから,本件当時ころの時点ではエイズの生涯発症率は漠然と10%程度であると考えていた旨の供述が録取されている。しかし,ここで被告人が供述している推論は,帝京大1号・2号症例がエイズであったことを前提としてもなお,合理性に乏しいものである。 なぜなら,第1に,このギャロ検査では,帝京大学病院第一内科の約80名の通院血友病患者のうち,2名がエイズを発症し,その他の者はエイズを発症していないという認識のもとで,エイズの2症例とその他の症例の検体を検査対象としたのであるから,エイズ患者の抗体陽性者中に占める割合は,その2症例以外の血友病患者の検体を何本送付するかによって,全く異なってくるものであることが明らかであり,現実のギャロ検査における「エイズ患者/抗体陽性者」が2/23という10%に近い数値であったのは,この送付の時点で同内科に残っていた上記2症例以外の検体が,たまたま実際に送付された46本であったことによる,偶然の所産であったと評価せざるを得ないものである(仮に上記の血友病患者約80名全員の検体が送付されたとすれば,抗体陽性者は23名よりも増えることとなり,その結果として,「エイズ患者/抗体陽性者」の値が更に小さくなったであろうことは,容易に想定されるところである。)。 第2に,帝京大学病院の限られたデータからHIV抗体陽性者中のエイズ発症率を推測すること自体にも本質的な限界がある。「例えば,仮に昭和59年末に東京医大病院での患者の調査をしたとすれば,HIV抗体陽性者中のエイズ患者はゼロであったはずであるが,このことから,一般に抗体陽性者の発症率はゼロであるといえるはずがない。これと同じ意味で,帝京大学病院のエイズ発症の数を抗体陽性者の数で除した数字がエイズ発症率であるということも誤りである。」という弁護人の主張は,血友病患者の治療について,帝京大学病院が東京医大病院や我が国のその他の医療施設と同様の治療方針を採用していたことにかんがみれば,首肯できるものである。さらに,我が国よりも以前の時期から,我が国よりも大量の非加熱製剤が投与されてきた米国は,血友病患者からのエイズ発症の数についても我が国より大きく先行していたもので,被告人もそのように認識していたことが明らかであるが,その米国のデータを見ても,第4回血友病シンポジウムにおけるエバット博士の報告によれば,HIV抗体陽性者中のエイズ患者の割合は,なお1%以下であったと推定される。 したがって,このような状況のもとで,帝京大学病院におけるわずか23名というHIV抗体陽性者中のエイズ患者2名という割合から「エイズの生涯発症率を10%程度と推測していた」という被告人の供述は,自らに不利益な事実を任意に供述したものであることを考えても,余りに不自然であり,被告人が本件当時において真実そのように考えていたというのではなく,その後HIV感染者からのエイズ発症率を10%前後とする文献に接するなどし,それが23名中2名にエイズの発症をみたという当時の帝京大学病院第一内科のデータと結び付いて,自らの記憶を再構成するに至ったのではないかという疑問を禁じ得ないところである。 5.3.10 まとめ 以上にみてきたところを含め,関係各証拠を総合すれば,本件当時ないし昭和61年ころまでの「HIV抗体陽性の意味」等に関する研究者及び臨床医の認識は,おおむね以下のようなものであったと認められる。 まず,そもそもの前提となる,エイズの原因論に関する認識の状況については,昭和59年のギャロ博士らのHTLV−V説の発表が,当初より非常に有力なものであると受け止められ,同年9月に開催された仙台の国際ウイルス学会においては,出席者の間で,LAVとHTLV−Vとが同じウイルスであるというコンセンサスが得られ,これがエイズの原因であるという考え方はウイルス学者のレベルにおいては定着したとみられる。しかし,他方において,このウイルスがエイズの原因であるという考え方においても,抗体陽性者の中におけるエイズ患者の相対的な少なさや,そのリスクグループ相互間における当時のエイズ発症者の割合の相違などの事情もあって,HIV感染はエイズの主たる原因であるが,発症にはコファクターが深く関与しているという見方がむしろ一般的なものであった。さらに,ギャロ博士の研究グループが,昭和58年にはHTLV−Tがエイズの原因ウイルスであるという説を発表していたこと,HTLV−V説を提唱した後においても,このウイルスがHTLVのグループに属するという見方を主張していたことなどの影響から,被告人を含めた我が国の研究者の一部においては,昭和59年末ないし昭和60年初めころまでの間,なお,HTLV−TとHTLV−Vとの間に,ひいてはHTLV−Tとエイズとの間に,何らかの関係があるのではないかという考え方が影響を及ぼしていた。 そして,「抗体陽性の意味」に関しては,本件当時までにも抗体陽性者を基本的にウイルス現保有者である(抗体陽性の第1の意味)と捉えているように読める文献がないわけではなく,被告人らも基本的にはそのような捉え方をしていたと考えられるものの,他方においては,不活化されたウイルス断片に対する抗体の存在や免疫が成立している可能性を指摘する文献が少なからず存在し,とりわけ凍結乾燥等の製造工程を経た濃縮製剤の輸注によるものとみられた血友病患者の抗体陽性については,ギャロ博士やエバット博士が共著者である文献においてもそのような可能性が指摘されていた。 また,抗体陽性者が現在ウイルスを保有しているとしても,将来にわたってそれを保有し続けるかどうか(抗体陽性の第2の意味)については,もとよりそのような可能性は否定できないものの,結局は長期間の観察に基づかなければ確かなことは判らないというのが正確なところであり,本件訴訟に提出された文献等の中でも,本件第一投与行為までに発表されていたものでHIVの一般的性質としてそのようなことを指摘したものは見当たらない。そして,昭和60年4月のアトランタ会議に出席した栗村医師等によって,本件第一投与行為の後である同年5月下旬ころから,「LAVはレトロウイルス科に属し,一旦生体内に入ると持続性感染が起こることが知られている。」などと,HIVの性質として「持続感染」を指摘する文献が現れるようになったものであった。 さらに,抗体がウイルスに対して防御的作用を有するかどうか(抗体陽性の第3の意味)については,モンタニエ博士ですら昭和60年に至って「陽性者が持っていた抗体はエイズウイルスを中和する力がほとんどないことを確認した」と述べており,我が国の文献においては,やはりアトランタ会議の知見を受けて本件第一投与行為の後に発表された上記の栗村医師の論説等によって,「血液中の抗体のウイルスに対する中和の力価は非常に低いようである。」などという記載が現れるようになったものであった。 検察官は,その主張を裏付けるデータとして,多数の海外文献等を挙げているが,これらのデータはいずれも,検察官主張のような見解を前提として眺めればそれに沿うデータであるようにも見えるものの,逆に,そうしたデータから検察官主張のような見解を推論することが容易でないことは明らかであって,そもそもそれらデータを報告したギャロ博士,モンタニエ博士,エバット博士ら自身が,本件当時までに公にされた論文や発言等で,検察官主張のような見解を明らかにしていたことはなかったばかりか,むしろそのような見方が成り立つかどうかはなお不明な部分があると認識していたものと認められる。 そして,本件訴訟において証言した帝京大学病院以外の国内医療施設の血友病専門医は,本件当時,海外雑誌を含めた様々な文献等から,エイズに関する最新の危険性情報を汲み取ろうとしていた状況をそれぞれが詳細に供述したが,それでもなお,この抗体陽性の第1ないし第3の意味について,一義的で明確な認識を抱くには至っていなかったとの趣旨を一致して供述した。 次に,HIV抗体陽性者あるいは感染者のエイズ発症率(抗体陽性の第4の意味)については,本件当時までは,海外研究者の先駆的な若干のデータが論文や学会での発言で短く言及されていた程度であって,そもそもHIV感染者のエイズ発症率を本格的に論ずる段階にも至っていなかったといわざるを得ない。この点も,昭和60年4月のアトランタ会議において複数の研究グループの観察結果が報告されてその内容が我が国に紹介され,我が国の研究者の間においても,昭和60年後半ころから昭和61年ころにかけて,ようやくHIV感染者のエイズ発症率について触れた文献が見られるようになってきたものである。そこでは,男性同性愛者と血友病患者とでは抗体陽性者からのエイズ発症率が異なるという考え方をとる研究者も少なくなく,そうした中には,昭和62年ころの段階においても,血友病患者におけるHIV感染者のエイズ発症率は男性同性愛者より遙かに低く,1〜2%台程度であると考える研究者も存した。他方において,発症集団を特に区別せずに発症率に言及する論者も,昭和61年ころまで,HIV感染者のエイズ発症率は10%程度であるなどとし,大部分の感染者はエイズを発症しないと考えるのが一般であった。さらに,本件当時ないしそれ以後においても,我が国におけるエイズ患者発生数が諸外国に比して少ないことから,「日本人はエイズを発症しにくい」あるいは「エイズ発症には人種差がある」などという仮説が,被告人を含む我が国の研究者の論説等においてしばしば指摘されていた。 なお,検察官は,エイズの潜伏期間が数年以上の長期間に及び,しかも時の経過とともに更に長くなるものと認識されていたことから,その後もHIV抗体陽性者からのエイズ発症者が増加することにより,そのエイズ発症率が本件当時における罹患率にとどまらず,最終的には極めて高率に上るものと想定されたとも主張するが,仮に「その後も抗体陽性者からのエイズ発症者が増加する」ことを前提としても,そのことから直ちに,発症率が「最終的には極めて高率に上る」などといえるものではなく,最終的な発症率は,「その後に増加する」エイズ発症者の数によることは明らかであるところ,この「その後に増加する」エイズ発症者が多数であろうと想定されることについては,格別の論拠は示されていない。 また,一般のウイルス感染症においては,ウイルスに感染してから潜伏期の最短期間が終わるまでは発症は見られず,また,発症がないまま潜伏期の最長期間を超えれば例外的な場合を除き不顕性感染で終わったと見られるのが通常である。これに対し,HIVは,現在の知見によれば,こうした従前の「常識」が当てはまらないウイルスであって,HIV感染症では上記のような意味での潜伏期の最長期間は存在せず,有効なエイズ発症予防治療がなされなければ感染後何年が経過してもエイズ発症の可能性があり,エイズ発症率が100%に近づいていくという,恐るべき性質のウイルスであったといわざるを得ない。しかし,本件証拠関係に照らせば,本件当時においては,被告人よりもエイズやHIVに関する最先端の学問的知識に接し,専門性も高かったとみられる研究者においてすら,こうしたHIVの特殊な性質に対する認識は乏しく,基本的には上記のような通常のウイルス感染症の枠組みで考えていたものと認めざるを得ない。 こうした当時の研究者の認識の実態に照らせば,本件当時の被告人が,「HIV感染者の多くにエイズを発症させることを予見し得」たという本件公訴事実には,明らかに無理があるように思われる。 また,検察官は,帝京大学病院においてギャロ検査結果到着直後に行われた血友病患者のT4/T8比調査により,被告人らが,「HIV抗体陽性者の中にはT4/T8比が著明に低下してエイズ発症の切迫した危険を有する患者が存在することを具体的データによって認識した」と主張する。 しかし,この検察官の主張及びそれに沿うかのような木下医師及び松田医師の証言は,@本件当時にそのような認識を論文等で発表していたわけではなく,むしろ,そのころ被告人ら血液研究室グループが発表していた論文等の記載内容には相反するものであること,A本件当時の他の研究者の認識に照らしても不自然であること,B被告人が退官した後の本件被害者に対する治療方針に照らしても,木下医師や松田医師がその証言するような危険性認識を有していたとみるのは不自然であること,Cいわゆる帝京大1号・2号症例は,T4/T8比の低下が臨床症状の出現に先行したケースとは評価し難いことなどに照らし,採用できない。 検察官は,被告人が,本件当時,外国由来の非加熱製剤の投与をなお継続すれば,HIV未感染の血友病患者をして「高い確率で」HIVに感染させることを予見し得たと主張する。これに対し,弁護人は,ギャロ検査の結果から計算しても非加熱製剤のうちウイルスに汚染された製剤の割合は0.3%であり,米国でドナースクリーニングが実施されるようになってからは更にこれが低下していたなどと主張する。 そこで検討するに,ギャロ検査の「48名中23名の抗体陽性」などから直接的に導かれる感染率は長期間の頻回輸注による累積感染率であり,単回感染率は極めて低かったという弁護人の主張は,基本的には正しいものを含んでいる。仮に抗体陽性を感染と同義に捉え,いったん感染が成立すればその後も感染が続くという前提に立つとすれば,累積感染率と単回感染率との関係は,各投与において感染しない確率(1−単回感染率)を投与回数だけ乗じたものが,当該投与期間において最終的に感染を受けなかった確率(1−累積感染率)に等しいことが,数学的に明らかであり,関係証拠により推認されるギャロ検査対象患者の非加熱製剤投与回数等に照らせば,単回感染率は弁護人の主張に近いものであったと考えられる。もっとも,本件における被告人の判断の適否を検討する上では,単回感染率そのものではなく,被告人が治療方針を転換したとすれば,それが実施に移されたであろう時点以降の累積感染率が問題であるとも考えられるが,その場合には,血友病患者の出血に対し非加熱製剤を投与しないことによるマイナス面も,投与1回当たりのそれではなく,そのような方針が継続的に維持されることによる不利益が比較衡量の対象となる。そして,この累積感染率を問題にするとしても,今後も投与を継続すれば23/48の確率で未感染者を感染させるということにならないことはいうまでもない。 関係証拠により認められる現在の知見によれば,我が国の血友病患者におけるHIV感染のピークは昭和57年ないし昭和58年であったと認められ,帝京大学病院における抗体検査結果データに照らしても,本件当時(すなわち昭和59年11月末ころから昭和60年5月12日まで)の非加熱製剤によるHIV感染の客観的な危険性は,正確に認定することは不可能であるものの,単回感染率はもとより検察官が主張する全期間を通じた累積感染率においても,高いものであったとは認め難い。したがって,本件公訴事実中の「被告人が,非加熱製剤の投与をなお継続すれば,HIV未感染の血友病患者をして高い確率でHIVに感染させることを予見し得た」という部分は,その前提となる「高い確率でHIVに感染する」という客観的事実自体が認め難いといわざるを得ない。 なお,昭和61年ころまでの被告人の著書を含めた諸文献においては,HIVの感染の成立には繰り返し反復して曝露されることが必要である,生体内に入ってもすぐには抗原とならず半年以上もかけてゆっくりと抗体を作るなどという記載が見られ,HIVの感染に関する認識についてもかなりの混乱があったものと認められる。 被告人らが本件当時ころに発表していた論文等の記載からは,HIV感染者の免疫異常の改善,治療について,当時試行していた治療にかなりの効果があると認識し,その予後に関しても相当に楽観的な見通しを持っていたこと,近い将来,HIVに対するワクチンが開発されることに大きな期待を持っていたことなどが認められる。 もとより現在から振り返れば,このような見通しは楽観的に過ぎたものであったことが明らかであるし,当時においても,将来の治療法確立の見通しなどということはその性質上全く不確実なものであるから,そのような楽観的な見通しに安易に頼ってHIV感染の危険を軽視することが正当化されるものではなかった。しかし,当時の実態としては,ギャロ博士らのHTLV−V分離の発表が,その本態が不明であるため有効な治療法や予防法がないと恐れられていたエイズについて,今後はその研究が急速に進歩するだろうという期待を多くの臨床医に抱かせるものであったことも事実であった。 以上のとおり,本件における被告人の結果予見可能性については,本件公訴事実をそのまま認めることはできない。すなわち,非加熱製剤の投与によって,血友病患者をHIVに感染させる危険性は予見し得たといえるが,それが「高い確率」であったとは客観的に認め難いし,HIV感染者について「その多く」がエイズを発症するということは,現在の知見においてはそのように認められようが,本件当時においてそのような結果を予見することが可能であったとは認められない。 しかし,他方において,こうした「高い」,「多く」といったことを別にすれば,本件当時においても,外国由来の非加熱製剤の投与によって,血友病患者を「HIVに感染させた上,エイズを発症させてこれを死亡させ得る」ことは予見し得たといえるし,被告人自身が,現実にそのような危険性の認識は有していたものと認められる。換言すれば,本件において,被告人は,結果発生の危険がないと判断したわけではなく,結果発生の危険はあるが,その可能性は低いと判断したものと認められる。 したがって,本件においては,関係証拠により認められる結果予見可能性の程度を前提として,なお被告人に結果回避義務が認められるかどうかが,過失責任の成否を決定することになると考えられる。そこで,以下においては,このような観点から,さらに検討を進めることとする。 第6 結果回避可能性及び結果回避義務に関する事実関係 目次に戻る 医薬品は,人体にとって本来異物であり,治療上の効能,効果とともに何らかの有害な副作用の生ずることを避け難いものであるが,治療上の効能,効果と副作用の両者を考慮した上で,その有用性が肯定される場合にはその使用が認められる。したがって,こうした医薬品を処方する医療行為についても,一般的に医薬品の副作用などの危険性が伴うことは当然であるが,その点を考慮してもなお,治療上の効能,効果が優ると認められるときは,適切な医療行為として成り立ち得ると考えられる。このような場合,仮に当該医療行為によって悪しき結果が発生し,かつ,その結果が発生することの予見可能性自体は肯定されるとしても,直ちに刑法上の過失責任が課せられるものではない。医療行為の刑事責任を検討するに当たっては,この種の利益衡量が必要となることは否定し得ないものと考えられるところであり,本件における検察官の主張も,このような利益衡量を当然の前提にしているものと解される。したがって,本件においては,まずもって,外国由来の非加熱製剤を投与することに伴う「治療上の効能,効果」と「エイズの危険性」との比較衡量が問題となる。また,本件公訴事実において,検察官は,「生命に対する切迫した危険がないものについてはHIV感染の危険がないクリオ製剤による治療等で対処することが可能であった」から,そのような出血に対しては外国由来の非加熱製剤を投与すべきではなかったと主張している。したがって,本件においては,「非加熱製剤の投与」と「クリオ製剤による治療等」との比較衡量も問題となる。すなわち,想定される各医療行為の取捨選択の適否に関しても,当該時点における医学的知見に基づいて考えられるそれぞれの治療方針のプラス面とマイナス面を考慮し,各医療行為を比較衡量して判断する必要があるものということができる。そして,こうした医療行為の選択の判断を評価するに当たっては,通常の医師であれば誰もがこう考えるであろうという判断を違えた場合などには,その誤りが法律上も指弾されることになるであろうが,利益衡量が微妙であっていずれの選択も誤りとはいえないというケースが存在すること(医療行為の裁量性)も,また否定できないと考えられる。 関節内出血は,直接に生命の危険にかかわる症状ではないものの,患者に激痛とともに関節の腫脹・運動制限をもたらし,さらには出血に起因する滑膜の炎症等の病理的変化を生じ,その結果として再出血も生じやすくなり,関節内出血を繰り返すと関節軟骨が破壊され,ついには肢体不自由者となるという,重大な後遺症をもたらす症状である。検察官は,本件被害者の右手首の関節内出血には,補充療法以外にもその治療方法が存在していたなどと主張するが,それはクリオ製剤すらない時代や補充療法を必要としない血友病患者のエピソード等を根拠とするものであり,実際に痛みを伴う出血を起こして病院を受診した血友病患者に対する本件当時の治療方針選択に当たって考慮されるようなものとは思われない。 したがって,本件当時において,関節内出血を起こして病院を受診した本件被害者に対する医師の現実的な選択肢として,補充療法を行わないという治療方針を考慮すべきであったとは認め難い。 本件当時,血友病A患者の出血に対する治療は,補充療法が当然の方針となっており,その補充療法に用いられる血液製剤は,ほとんどの医療機関において,かつて用いられたクリオ製剤から非加熱第[因子製剤に移行し,さらに,多くの血友病患者の治療を行っている専門性の高い医療機関においては,非加熱第[因子製剤の自己注射療法が導入され,それが推進されつつあるという状況にあった。こうした治療方針の進展は,それ自体が医療技術や医学的知見の進展に伴って生じてきたものであるが,そのような状況において,血液製剤によるエイズ伝播の問題が起こってきたのであり,本件当時の血友病治療医は,この問題を契機として,その治療方針を変更すべきかどうかの判断を迫られることになったものと考えられる。 治療的観点から濃縮製剤をクリオ製剤と比較した場合の長所としては,@製剤中の第[因子の力価が高く,治療効果が優れていること,A夾雑タンパクの混入が少ないために,クリオ製剤の輸注でしばしば見られた輸注直後の喘息様発作,蕁麻疹,腰痛などのアレルギー反応がほとんど見られなくなったこと,Bクリオ製剤の輸注でときに見られた生命にかかわる副作用であるアナフィラキシーショックの危険性もほとんどなくなったこと等があった。滑膜炎による関節の機能不全についても,クリオ製剤の時代と濃縮製剤が普及した後の時代とでは明確な差異があり,クリオ製剤による治療では,血友病患者が重篤な後遺症を残さないのは無理で,運動を制限することなども必要となり,十分なQOL(クオリティ・オブ・ライフ)を持った生活をするのには不適当であると考えられていた。 また,濃縮製剤とクリオ製剤とでは,投与のしやすさや,保存・保管・持ち運びの容易さなどの面でも,大きな差があった。 このような副作用の多さと保管・投与等の難しさとから,クリオ製剤の致命的な短所は,自己注射療法に不向きなことであると認識されていた。そして,本件当時,血友病専門医らの同療法に対する評価は,極めて高いものであった。すなわち,早期に止血処置を始めれば,少ない量の補充療法で当該出血の止血を可能にし,出血を起こした関節への悪影響を最小限に押さえて再出血を起こりにくくし,その結果として関節障害の後遺症を防止し,ひいては血友病患者の社会的行動範囲を大幅に広げて,そのQOLを飛躍的に向上させることができるのであり,そして,濃縮製剤による自己注射療法が,血友病患者にこのような福音をもたらすという評価は,当時自己注射療法を進めつつあった血友病専門医に共通のものであった。 これに対し,非加熱製剤をクリオ製剤と比較した場合に,感染の危険性が高いことは,エイズが問題となる以前の時代から指摘されていた欠点であった。すなわち,元来,血友病の補充療法は,ヒト由来の原料を用いた製剤という性質上,感染症の危険は必然的に伴うものであったが,濃縮製剤は多人数から集められたプール血漿から製造されるため,感染の危険性が高まると考えられていた。もっとも,血友病治療医の受け止め方は,ウイルス性肝炎については,クリオ製剤の時代においても,ある程度以上を使うと必発であるが,だからといって,出血に対する補充療法をしないわけにはいかないというものであり,非加熱製剤が開発されてからは,感染症のリスクの程度が高くはなるが,その点を考慮してもなお,止血管理の容易さや後遺症の防止の点で優り,自己注射療法も容易になる非加熱製剤による治療が遙かに優れていると判断してこれに切り替えたものであった。 6.4.1 米国 NHF医学諮問委員会は,昭和59年10月,エイズと血友病治療に関する勧告を行った。血友病治療医に対する勧告には,新生児,4歳以下の幼児及び過去に非加熱製剤を投与されたことのない血友病A患者等の治療について,クリオ製剤の使用を勧告し,濃縮製剤を扱う者は,エイズに対する防御効果は未だ証明されていないという理解の下で,加熱製剤に変えることを是非とも考慮すべきであると勧告するなどの内容が含まれていたが,他方では,治療を控えることによる危険の方が,治療に伴う危険よりも遥かに勝っているから,出血した際には,担当医師の処方に従い,凝固因子による治療を継続すべきであるともされていた。 また,上記5.3.4.6のNHFがCDCの協力を得て昭和60年3月に作成・発行した「エイズ最新情報」は,血友病治療について,次のとおり述べていた。 「血友病者は,医学的に必要であれば,治療を控えてはなりません。現在,第[因子ないし第\因子製剤の使用変更を正当化するだけの確実な証拠はありません。もし早期の治療が控えられると,肢体不自由になったり,生命を脅かすことにもなる出血をもたらす合併症が出るでしょう。」 「血友病患者では出血よりもエイズの方が死亡率が高いとの指摘があります。血漿製剤の積極的な使用には反対すべきではないでしょうか?」との質問に対し,「絶対に違います。血友病患者の間でのエイズによる死亡率は極めて低いものです。現在,出血による死亡率も同じく極めて低いのは,血漿製剤を適切に集中的に使用していることの直接的な結果です。血漿製剤治療の度合いを減少させても,エイズの率は下がることはないでしょうし,逆に出血による死亡と身体障害の率が上昇することは確かでしょう。」 「現在まで,クリオ及び新鮮凍結血漿よりも濃縮製剤の方が危険であることを示す明確な証拠はありません。エイズになった血友病患者の大部分は濃縮製剤で治療を受けていますが,重症の血友病患者で他の製品による治療だけを受けていた者の割合はとても少ないので,このような所見は製剤の使用パターンから予測されるところです。エイズと特定の血液製剤又は製造者とを結び付ける証拠がないことに留意すべきです。」 6.4.2 WFHのリオデジャネイロ会議 昭和59年8月,世界血友病連盟(WFH)は,リオデジャネイロで,医学委員会と総会を開催したが,ここでは,前年のストックホルム総会の「現時点では,血友病の治療のいかなる変更をも勧告すべき証拠は不十分であり,したがって,現在の治療は,担当医師の判断に従って,入手可能なあらゆる血液製剤を使って継続すべきである。」との決議が再確認された。 6.4.3 アトランタ会議直後のWHO勧告 WHOは,昭和60年4月のアトランタ会議直後,専門家による作業部会を開き,WHOのとるべき処置及び加盟各国のとるべき処置に関する勧告を発表した。加盟各国のとるべき処置には,「血液や血漿を提供しようとする者に関しては,AIDSウイルス抗体のチェックを行い,抗体陽性の例に関しては,本人に知らせるとともに,供血を行わせない。」,「血友病患者に使用する凝固因子製剤に関しては,加熱その他,ウイルスを殺す処置の施された製剤の使用を勧告する。」が挙げられた。 6.5 本件当時の我が国の血友病治療の実態とその理由 目次に戻る 本件当時,成人の軽症でない血友病A患者の通常の出血(本件で問題とされている関節内出血を含む。)を治療する我が国のほとんどの医師は,その原料血漿が外国由来であるか否かにかかわらず,非加熱第[因子製剤の補充療法(自己注射療法を含む。)を行っていた。すなわち,一方では,エイズの危険性が問題とされる以前から一貫して,感染の危険を重視する等の理由から,外国由来の非加熱製剤を使用しないという治療方針を維持していた医師も存在した。しかし,多数の血友病患者が通院していた医療施設である,東京医科大学病院,荻窪病院,聖マリアンナ医科大学病院,神奈川県立こども医療センター,静岡県立こども病院,名古屋大学医学部付属病院及びその関連病院,奈良県立医科大学病院等においては,いずれも加熱第[因子製剤が供給されるようになるまで,その原料血漿が外国由来であるか否かにかかわらず,非加熱第[因子製剤の投与が継続されていた。また,昭和60年には,我が国の主要な血友病治療施設においても,次第に患者のHIV抗体検査の結果が判明するようになったが,加熱第[因子製剤の治験薬の余分があったために,結果的には抗体陰性と判明した患者にその後に非加熱第[因子製剤を処方することはなかったという医師も存したが,その医師も,その方針を当直医にまで徹底したわけではなかった。他方において,抗体陰性者に治験薬を投与することを検討はしたものの,量的に不可能であるという理由で断念して非加熱第[因子製剤の投与を継続した医師も存した。 AIDS調査検討委員会は,発足当初,血友病専門医は委員に含まれていなかったが,帝京大1号・2号症例等の検討を契機として,血友病専門医2名が委員に加わった。しかし,昭和60年8月に加熱第[因子製剤が供給されるまで,非加熱第[因子製剤の使用中止などが討議されることはなかったし,また,加熱第\因子製剤の承認は最も早いものが同年12月であったが,これが供給される前に非加熱第\因子製剤の使用中止が討議された形跡もない。 本件当時,仮に被告人が,血友病A患者の出血の大部分に対し,国内血由来のクリオ製剤を用いるという方針に転換することを考えた場合に,それが現実に可能なものであったか,また,当時の被告人の立場において,そのことを認識することが期待できたかも問題である。 検察官は,@本件当時,帝京大学病院第一内科において,血友病A患者の生命の危険にかかわらない出血につき,非加熱第[因子製剤に代えてクリオ製剤による補充療法を実施するために必要なクリオ製剤は,ミドリ十字及び日薬の実際の在庫量のみをもってしても対応可能であった,Aさらに,ミドリ十字,日薬及び日赤の製造能力に照らし,また,献血の増加やFFP(新鮮凍結血漿)の製造に用いられていた血漿の一部を凍結クリオの原料に回すことなどによって原料を確保すれば,全国の医療機関におけるクリオ製剤の需要(当時の我が国における非加熱第[因子製剤の年間供給量である約1億単位の3分の1)にも対応することが可能であった旨を主張している。 しかし,@については,帝京大学病院のみがクリオ転換をし,他の医療施設は従来どおり外国由来の非加熱製剤を継続するということが現実的にあり得たと考えられるかが疑問である。検察官の主張する治療方針を採用することは,自己注射療法を中止し,治療の利便性を大きく後退させる大転換であって,不便を被る患者やその家族,さらには病院スタッフに対して,当然にその理由,すなわち外国由来の非加熱製剤によるエイズ感染のリスクが非加熱製剤やそれを用いた自己注射療法のベネフィットを上回ることを説明しなければならないと考えられる。そして,それが血友病治療医として我が国の権威者であり,非加熱製剤による自己注射療法を中心的立場で推進してきた被告人の治療方針の大転換であることからすると,そうした方針転換が帝京大学病院で行われた事実やその理由に関する情報は,他の医療施設やその患者らにも伝わるであろうと推測される。他方,本件において被告人に過失が認められるのは,通常の血友病専門医が本件当時の被告人の立場に置かれていれば,当然に非加熱製剤の投与を中止してクリオ製剤等の代替治療に切り替えたであろうと認められる場合であり,換言すれば,通常の血友病専門医が帝京大学病院の特別な情報を知れば,そのような治療方針転換を当然に行っていたと認められる場合であると考えられるから,結局,ほとんどの血友病専門医がクリオ製剤に転換するということになり,全国的な需要の殺到に見合うほどにクリオ製剤が供給可能であるのかが問題とならざるを得ないように思われる。しかも,本件訴訟においては,検察官自身が,被告人の治療方針転換は,我が国の血友病治療全体に影響を与えるものであったと論じているのである。したがって,結果回避可能性の点についてのみ,帝京大学病院の患者が転換する分のクリオ製剤は確保可能であったからこれが認められるという検察官の主張は,余りに便宜的であるとともに,当時の血友病治療の現実から乖離しているのではないかという疑問を払拭し難い。 次に,Aについては,そこで前提とされているクリオ製剤の製造能力自体も,現実の本件当時の製造量とは著しい乖離があり,机上における推論という性格は否定できないのではないかという疑問がある。また,クリオ製剤に転換した場合に,全国の医療機関におけるクリオ製剤の需要が,当時の我が国における非加熱第[因子製剤の現実の年間供給量の3分の1で済むという主張にも同様の疑問がある。 さらに,本件当時の客観的状況に照らせば,献血の増加やFFP製造用の血漿の一部を凍結クリオの原料に回すことなどによる原料確保が可能であったか否かは極めて疑わしい。当時のFFPは,その需要が著しく増加し,各方面から使用を抑制すべきであると指摘されていながら,それが実現できないという状況にあったものであり,当時の文献の記載に照らしても,その製造に用いられていた血漿を凍結クリオの原料に回すためには,医療機関に理解を求め,節約を懇請することから始めなければならないのが現実であった。また,献血量の増加についても,本件当時における献血の伸び率は鈍化しており,それが増加することは難しいという状況であった。こうした現実にもかかわらず,本件当時から十数年が経過し,多数の血友病患者らのHIV感染が大きな社会問題となってから得られた日赤関係者の供述,すなわち「国,地方公共団体,日赤が目標値を定めてそれぞれ献血推進に努力すれば,あえて言うならば一割程度の献血増は考えられたと思う。」などといった供述に依拠して,現実にそのような献血量の増加が可能であったとすることは,刑事裁判における事実の認定としては,いかにも心許ないというべきであり,また,本件当時の血友病専門医において,そのようなことが認識可能であったという根拠になるとも考えられない。 まず,刑法上の過失の要件として注意義務の内容を検討する場合には,一般通常人の注意能力を基準にしてこれを検討すべきものと解される。そして,ここでいう「一般通常人」とは,行為者の属性(医師という職業やその専門分野等)によって類型化されるものであると考えられるから,本件においては,通常の血友病専門医の注意能力がその基準となるものと考えられる。本件で問題となっているのは,前記6.1のような特徴を有する医療行為の選択の判断であることに照らせば,本件において刑事責任が問われるのは,通常の血友病専門医が本件当時の被告人の立場に置かれれば,およそそのような判断はしないはずであるのに,利益に比して危険の大きい医療行為を選択してしまったような場合であると考えられる。 そして,本件公訴事実において検察官が主張する「血友病患者の出血が生命に対する切迫した危険がないものであるときは外国由来の非加熱製剤の投与を控える」という治療方針を,本件当時の被告人が採っていなかったことは明らかであるが,他方において,我が国のほとんどの血友病専門医もまた,そのような治療方針を採用していなかったことが明らかである。したがって,このような事情にもかかわらず,本件当時の被告人の立場に置かれたならば,通常の血友病専門医が外国由来の非加熱製剤を投与しなかったであろうと考えられるような根拠があるのかどうかが検討されなければならない。 松田医師は,昭和59年9月ないし10月ころ,被告人に対し,非加熱製剤の使用中止と加熱製剤の早期導入又はクリオ製剤への転換を提言したと供述した。 こうした事実があったこと自体は認められるが,この「進言」の時期やその前後の事情との関係,さらには松田医師がその後は全く同様の行動に出ておらず,他の血友病専門医に対して非加熱製剤使用への懸念を口にしたこともないこと等に照らすと,これが松田医師の強固な考えや切迫した危機意識に基づいたものであったと位置付けることはできず,非血友病専門医の立場から,主に非加熱製剤のリスクの面を考慮した思い付きでなされたものであったとみざるを得ない。 木下医師は,昭和59年11月ころ,被告人に対して,非加熱製剤をクリオ製剤に切り替えるべきであるという意見を述べたことがあると供述した。 しかし,木下医師自身の供述によっても,この「進言」は,いつものように事務的な話をしていたところ,たまたまエバット博士の発表が話題になったので,「クリオにしたらどんなもんですか。」と言ってみたものの,被告人が「クリオは使いにくい。クリオでは自己注射はできないよ。」と答えたので,すぐにその話はやめて事務的な話に戻り,その後は二度とそうしたことを述べたことはなかったというものである。木下医師が患者の生命に対する重大な危険性を認識してこうした発言をしたのであれば,いかに被告人が非加熱製剤の継続に強くこだわっていたとしても,自ら非加熱製剤の注射を行う医師として,また血友病治療に当たる若手医師を直接に指導する立場の医師として,そのような方針にたやすく従うことはできなかったであろうと思われるが,木下医師自身の供述する「進言」の状況は,こうした切羽詰まった「進言」という見方をするには余りにも遠いものである。しかも,本件当時の木下医師の言動や状況事実からは,同医師が,自ら行いたいと考える治療と被告人の治療方針との乖離に悩んでいた様子もうかがわれない。そもそも,この「進言」の前提となるエイズの危険性に関する認識について,木下医師の供述に多くの疑問点があることは,前記5.3.8のとおりである。 また,血友病の治療方針の根幹に関わる部分はともかく,日常の診療においては,本件当時,木下医師が現場の責任者であったという弁護人の主張は否定できない。したがって,本件において被告人に刑法上の過失責任が問われるのであれば,被告人と同じ情報に接し,より実際の治療行為に近い立場にあった木下医師に対する刑事責任の追及もまた,十分に想定されるものであったと考えられる。こうした木下医師の立場に照らせば,同医師が,自身に対する責任の追及を緩和するため安易に供述したのではないかという疑いは,ここでも払拭し得ない。しかも,昭和62年3月に被告人が定年退職し,木下医師が血液研究室の責任者の立場を引き継いだ後,帝京大学病院を受診していた血友病患者から次々とエイズ発症者が生まれ,木下医師が大きな心理的ストレスにさらされたことや,本件当時の治療について深い後悔の念にさいなまれたことは容易に推認できるが,このような場合に,一種の心理的な合理化機制により,木下医師の記憶が一定の方向に潤色されるということも,いかにもありそうなことであると考えられる。 こうした諸点にかんがみると,木下医師の上記程度の供述をもって,同医師が本件当時,非加熱製剤投与の全面的あるいは原則的中止を真剣に考慮していたとみるには疑問がある。また,仮に被告人と木下医師との間での間で治療方針の見直しに関する真摯な話合いがされていたとしても,クリオ製剤の供給可能性その他の現実的な困難などに照らせば,検察官の主張するような非加熱製剤の原則的中止という治療方針が採用されたとは考え難いといわざるを得ない。 帝京大1号・2号症例,ギャロ検査結果,T4/T8比検査結果などの帝京大学病院で得られた情報は,遅くとも昭和60年3月ないし4月には,他の血友病専門医が知り得る状況になっていた。のみならず,同年3月には栗村医師による全国各地の血友病患者のLAV抗体検査結果が新聞報道され,他の研究者らの抗体検査も開始されて,帝京大学病院以外の医療施設においても,自らの施設の患者の抗体検査結果を把握しつつあった。そして,同年5月には,AIDS調査検討委員会によって,帝京大1号・2号症例などの3例がエイズと認定され,また,このころから,アトランタ会議に出席した我が国のウイルス学者らによって,邦語文献でもHIVの特殊な性質が指摘されるようになり,同年7月までには,我が国においてエイズ認定された血友病患者は5例に増加していた。 したがって,昭和59年11月ころにおいては,被告人と他の施設の血友病専門医との間には相当の情報格差があったといえるが,その後は,次第にこの情報格差は解消され,例えば,昭和60年6月ころの時点において通常の血友病専門医が有していた情報は,客観的に見れば,昭和59年11月ころに被告人が有していた情報に比べても,より広範で充実したものであったように思われる。それにもかかわらず,血友病A患者の通常の出血に対して非加熱第[因子製剤を投与していた血友病専門医が,こうした情報を得た結果として,昭和60年8月ころに加熱第[因子製剤が供給されるに至る前に,外国由来の非加熱第[因子製剤の使用を中止したという例はほとんど見当たらない。このような当時の実情に照らせば,帝京大学病院において,外国由来の非加熱製剤の投与を原則中止するという判断をしなかったことが刑法上の過失の要件たる注意義務違反に当たるとみることは,いかにも無理があるように思われる。 このことは,血友病B患者に対する治療方針についてみると一層明瞭である。加熱第\因子製剤については,最初の製剤が承認されたのは昭和60年12月であった。そして,同年後半には,各医療施設の血友病患者のHIV抗体検査も着実に進められ,抗体陽性血清からのHIVの分離もされるようになって,エイズに関する理解は更に浸透していたと認められるのに,血友病B患者の「生命に対する切迫した危険のない出血」について,加熱第\因子製剤が供給されるに至るまで,外国由来の非加熱第\因子製剤の投与を中止した血友病専門医が存在したという事実は,本件証拠上認められない。 要するに,本件訴訟において検察官が主張する治療方針は,本件当時において,現実にそのような方針への転換が提唱されていたという裏付けを伴わないものであり,検察官が,後日になって改めて収集・整理した情報から本件当時を振り返って,本件投与行為の刑事責任を追及するために自ら構成したものであるという性格を免れ難い。このような検察官の主張は,不確実な情報をもとに時々刻々・臨機応変の判断をし,実際に行動していかなければならない場合の困難を適切に顧慮していないものといわざるを得ない。 7.5 「被告人による医療水準の形成」論について 目次に戻る 本件において,弁護人は,医師の治療行為については当時の医療水準がいわばその時の法律に当たるのであるから,医師はこれに従って医療を行うべきであり,たとえ今日からみればその医療水準が誤っていたとしても,これに従った医療行為は適法である,本件当時の血友病治療の医療水準は,非加熱製剤の使用を継続するべきであるというものであったから,血友病専門医の一人である被告人がこの医療水準に従って行っていた医療行為の過失責任を問うことができないことは明白であるなどと主張していた。これに対し,検察官は,@我が国における血友病治療の医療水準は被告人を中心として形成されてきたものである,A血友病患者へのエイズ伝播防止策の領域において被告人がむしろ自己の大きな影響力を利用して本来あるべき医療水準の形成を阻害してきたなどと主張した。 既に述べてきたとおり,当裁判所は,本件において刑事責任が認められるのは,通常の血友病専門医が本件当時の被告人の立場に置かれれば,およそそのような判断はしないはずであるのに,利益に比して危険の大きい医療行為を選択してしまったような場合であると考える。したがって,弁護人の上記主張が,本件当時の我が国の血友病専門医の大多数が非加熱製剤の投与を継続していたことから直ちに,被告人の本件行為が医療水準に沿ったものであるとして過失が否定されるという趣旨であるとすれば,これを採用することはできない。しかしながら,他方において,被告人の過失の有無を判断する注意義務の基準が通常の血友病専門医であることは,動かし難いものと考える。したがって,検察官の主張が,被告人の法律上の注意義務を通常の血友病専門医のそれとは異なるとするものであれば,やはりこれを採用することはできない。 もっとも,本件当時の被告人が置かれていた状況のうち,加熱第[因子製剤が未だ承認されておらず,クリオ製剤に全面的に転換することも原料血漿の面から困難があったなどの点については,昭和58年度の我が国の政策決定によってもたらされたものであり,当時のエイズ研究班の班長であった被告人の言動がそうした政策決定に影響を及ぼしたものであるという指摘は,考えられないものではない。しかし,本件公訴事実において,被告人の結果予見可能性の前提として摘示されているのは昭和59年5月ころのギャロ博士の「HIV同定」以降の事実のみであるから,被告人の過失の成否は,やはりそれが問題とされる時点において,刑法上の業務上過失に当たる注意義務違反行為が存したと評価されるかどうかにかかるものであるといわなければならない。 本件で結果予見可能性が問題とされている時点以前の時期における被告人の言動を非難する検察官の主張は,本件公訴事実との関係が明らかでないというほかはない。したがって,これらに対する判断は不要であるとも考えられるが,その中には,本件の背景として社会的な耳目を集め,本件審理においても相当の証拠調べが行われたものがあることも顕著な事実であるから,こうした経過にかんがみ,若干の点について付言しておくこととする。 昭和58年度のエイズ研究班における討議の結果,我が国においては,クリオ製剤の適用範囲が極めて限定的なものとされ,また,加熱製剤が治験を行った上で導入されることとなったことは,今日の視点で振り返れば,もとより遺憾なことであった。しかし,この方針は,被告人が関与していない血液製剤小委員会の第1回会合で各委員のコンセンサスに基づき実質的な方向付けがされ,その後の中間報告から最終報告に至るまで,同小委員会の見解は一貫していたと認められる。この間,被告人は,中間報告の後,同小委員会委員長であった風間医師をこの答申に関して激しく叱責するなどのことがあったが,本件証拠関係に照らせば,このことによって同小委員会の方針が変更されることはなかったことが明らかであり,この叱責がなければ同小委員会が最終報告をクリオ製剤適用拡大の方向に変更していたであろうと認めることもできない。 また,加熱製剤の治験の経過については,被告人が第1相試験の実施にこだわったことや治験統括医をいったん辞任したことなどがなければ,加熱第[因子製剤の臨床試験の開始が早まった可能性があることは否定できないが,その当時,新薬の承認までには臨床試験を終えて申請をしてから1年半程度を要すると考えられていたことなどにも照らすと,こうした被告人の昭和59年初めころまでの言動が,現実の我が国における加熱第[因子製剤の供給開始時期にどのような影響があったかを正確に推認することは不可能であるというほかない。 そして,こうした昭和58年度当時の事実関係を見るには,当時におけるエイズの危険性に関する認識や,加熱製剤の有効性・安全性に関する認識を踏まえてこれを評価することが必要である。関係証拠に照らせば,我が国におけるエイズの危険性認識が,昭和58年度のエイズ研究班においてエイズ患者が認定されなかったことなどから,いったん沈静化したことは否定できないところ,このエイズ患者の認定に至らなかった点は被告人の期待に反するものであったことも事実である。冒頭にも述べたとおり,エイズと血液製剤をめぐる問題は,複雑で多様な事実関係を含むものであり,流動的で混沌とした状況の下において,多数の者がそれぞれの時期に種々の方向性をもった行動をとっていたことに留意されなければならない。 以上に検討してきたところによれば,通常の血友病専門医が本件当時の被告人の立場に置かれていた場合に,本件で問題とされている出血に対して非加熱製剤の投与を控えたであろうと認めることには,合理的な疑いが残るといわざるを得ない。したがって,被告人に公訴事実記載のような業務上過失致死罪の刑事責任があったものとは認められない。 本件刑事訴訟は,特定の被害者1名の関係で業務上過失致死罪が成立するか否かを直接の検討対象とするものであるが,その審理過程においては,当事者双方による立証活動の結果,法廷という公開の場に,血友病治療とエイズをめぐる広範な証拠関係が上程されてきた。そこには,刑事事件という枠組みを離れても,未曾有の疾病に直面した場合の対処方策等について,種々の示唆的な事情が現れている。この間の事実経過を正確に跡付けた上で,さまざまな角度から検証を加えていくことは,今後の医療の在り方等を考える上でも意義があるものといえよう。 血友病治療の過程において,被害者がエイズに罹患して死亡するに至ったという本件の結果が,誠に悲惨で重大であることは,何人にも異論のないところであろう。また,一連の事態に現れた被告人の言動をみると,血友病治療の進歩やこれに関連する研究の発展を真摯に追求していたとうかがわせる側面がある一方で,自らの権力を誇示していたのではないか,その権威を守るため策を巡らせていたのではないかなどと傍目には映る側面が存在したことも否定できない。しかし,本件は,エイズに関するウイルス学の先端的な知見が血友病の治療という極めて専門性の高い臨床現場に反映されていく過程を対象としている。科学の先端分野に関わる領域であるだけに,そこに現れる問題は,いずれも複雑で込み入っており,多様な側面をもっていた。これらの問題について的確な評価を下すためには,対象の特性を踏まえ,本件公訴事実にとって本質的な事項とそうでない事項とを見極めた上で,均衡のとれた考察をすることが要請されている。 業務上過失致死罪は,開かれた構成要件をもつともいわれる過失犯の一つであり,故意犯と対比するとその成立範囲が周辺ではやや漠としているところがあるが,同罪についても,長年にわたって積み重ねられてきた判例学説があり,犯罪の成立範囲を画する外延はおのずから存在する。生じた結果が悲惨で重大であることや,被告人に特徴的な言動があることなどから,処罰の要請を考慮するのあまり,この外延を便宜的に動かすようなことがあってはならないであろう。そのような観点から,関係各証拠に基づき,被告人の刑事責任について具体的に検討した結果は,これまでに説示してきたとおりであり,本件公訴事実については,犯罪の証明がないものといわざるを得ない。 よって,刑事訴訟法336条により無罪の言渡しをすることとし,主文のとおり判決する。 |
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