「いま医薬品を見直そう」 シリーズ

 

  

 

第25回 疑問に答えて(下)
      「キシリトール入りガムの有効性と安全性(私見)

  

1998年10月15日

 

【はじめに】
 「フルクトース、キシリトールは危険」の記事に「根拠は確かか」「代替薬剤は何がよいか」の問い合わせの他、歯科医師の方々から「むし歯予防のキシリトール入りガムも問題があるのか?」の問い合わせも多かった。小児科医から、キシリトール入りガムが中耳炎に有効との臨床試験結果があるとの指摘もあった。TIP誌には未掲載の内容なので、筆者個人の見解として検討した結果を速報したい。

【キシリトール入りガムと「う蝕予防」】
 「キシリトールなどの糖アルコールの最大の欠点として大量投与による緩下作用があります。そのため、北欧でも代用糖として完全に砂糖やぶどう糖などの代わりに使用することはなく、ガムやキャンディーなどの形で少量のみ使用します。このような少量のキシリトールの使用でも何か明瞭な危険はあるのでしょうか?」との質問にあるように、むし歯予防のキシリトール程度でも問題かとの質問が多かった。
 一方、また、「シリーズを楽しみに読ませて頂いています。さて、『フルクトース、キシリトールは危険』は歯科医師として非常に興味のある内容でした。むし歯予防効果があるということで今、話題のキシリトールですが、WHOやフィンランドの研究者が行ったフィールドワークの結果を検証しても効果があるとはいえないので、患者さんには勧めていませんでした」との慎重論のFAXも寄せられた。
 筆者には専門外であるが、収集した資料からの中間的なまとめをしたので参考にしていただければと思う。
1)フィンランドの子どものう蝕罹患率は、日本の三分の一となったが、これはキシリトールで達成されたことではなく、一九七二年に施行された国民健康法の下に予防を重視した歯科医療に変化したことによるものであるようだ。
2)比較的適切と思われる臨床試験でも報告によって大きく異なるが、キシリトールは、う蝕を10〜80%程度減少させるといわれる。
3)キシリトールの有用性を主張する専門家の中にも、「現在の日本の歯科保険医療制度の中では限りなく0%に近いのではないか」との意見もある。
4)経口摂取されたキシリトールは、グルコースなどと異なり、受動的に緩徐に吸収される。大量では軟便、下痢が生じ、三分の一程度は早期に吸収されるが、残り三分の二はゆっくり分解されて吸収される。ガム(一個1g程度)を少量摂取する際には吸収率はよい。歯科的には一日10〜12g程度が適切と考えられている。
5)キシリトールの臨床試験のエンドポイントは口腔内細菌叢やう蝕罹患率までであり、慢性疾患の合併(高尿酸血症、糖尿病の合併症など)や長期生存率についてはまったく検討されていない。キシリトールの有用性が主張される際にも、経口のキシリトールの危険の可能性には言及がなく、明瞭な危険性を示す静注投与の害にも触れていない。
 フッ素化合物のようにう蝕予防に確実な効果が証明されているものでも、他の健康への影響には問題(水道水添加で、全身脱力、頭痛など非特異的な体調不良、飲料水中フッ素濃度と出生率、総受胎率が逆相関)が指摘されている。

【急性中耳炎に対するキシリトールガム】
 平均五歳の小児約三百人を対象とした二重遮蔽比較試験で、砂糖入りガムよりキシリトール入りガム(キシリトール群では一日あたり8,4g)を噛ませた方が二カ月間に少なくとも一回急性中耳炎を起こした子どもの率が有意に少なかった(20,8%vs12,1%,p=0,04)。
 この臨床試験では、確かに砂糖入りガムよりもキシリトール入りガムの方が中耳炎を減らしたように見える。長期の影響はここではおいておくとしても、砂糖入りガムでは全くガムを噛まないよりも中耳炎になりやすいかもしれない。従って、厳密にはガムを噛まなかった群との比較が必要である。

【おわりに】
 以上のように、明確に結論を出せるほどのデータは揃っているとはいえないが、現時点でも、積極的にキシリトールガムを常用することを推奨できるほどの根拠はない。
 歯科領域のキシリトールの問題点を指摘していただいた鹿児島の薬師寺毅氏が主張されるように、現在の日本では、う蝕の予防には「全く効果がないとは言えないと思われる」し、キシリトールに興味を持っている人の「口腔への関心を喚起するきっかけにできるのではないか」とは思われる。しかし、糖尿病や高尿酸血症、腎障害、脳神経障害、アシドーシスの傾向のある人などには危険の可能性が相当あるので勧めることはやめた方がよいと思われる。
 なお、小児期から予防的に長期にキシリトールを使用し続けることに関する影響については「安全」を証明する確実な証拠はない。一方、危険の可能性は考え得る。使用に当たっては慎重な態度が必要であろう。