「薬害イレッサ訴訟」で、大阪地裁は、2月25日、製造販売元であるアストラゼネカ社(以下ア社)に対して、責任を一部認める判決を下し、国への請求は全面的に棄却した[1]。3月23日には東京地裁でも判決が予定されている。
大阪地裁の判決は1月7日の和解勧告と比較しても後退した判決であった。原告らは和解勧告を拒否した企業と国を強く批判し[2]、全面解決のための協議をただちに開始すべきと述べている[3]。
さらには、和解勧告が出た後、厚生労働省から、医学界の中心人物らに対して、国をサポートする意見を出すよう仕向ける働きかけをしたことも、大きな批判の対象となっている[4]。
しかし、大阪地裁がア社に対して認めた責任は、イレッサの承認初期に「致死的可能性の警告が不適切であった」というただ1点のみである(イレッサとの関連が否定できない間質性肺炎は、重大な副作用の項の最初に書くべきであり、致死的経過をたどる可能性について、第一版の添付文書の警告欄に記載すべきであったが書かなかった、というものである)[1]。
判決は、有効性が危険性を上回り有用性があることを認定した。しかも、承認当時も現在でも有用性が認められ、2002年7月の承認そのものも問題はなかったという基本的立場をとっている[1]。
私は、2002年に間質性肺炎による多数の死亡者が出たとの報道に接して以来、すぐさま資料を取り寄せ、イレッサの承認の是非を医学的立場から検討した。イレッサ薬害の裁判でも合計6回の意見書を書き[5]、大阪で4回、東京で2回、合計6回法廷に立ち、イレッサの害が有益性を上回ること、承認当時の知識からしてもその害に気づくことができ、承認そのものが不適切であったことを証言した。
しかし、国の対応を問題にするマスメディアの論調、あるいは、原告らを応援する方々の中にも、2002年7月の承認そのものを問題にする意見が乏しい[6]。ただ、それは、原告らや弁護団の本意ではなく、本来は承認そのものを問題にしたいが、一般の理解を得難い、との思いで主張されずにいる、と私は理解している。
そこで、イレッサ薬害を当初から検討し、医学的な立場でその害について最もよく理解していると自負している医師として、医学的な検証に関わることを中心に、イレッサ薬害を振り返りたい。
イレッサ(一般名ゲフィチニブ)は、飲み薬の非小細胞肺がん治療用の抗がん剤である。「分子標的薬」と、いかにもピンポイントでがん細胞だけを攻撃するかのようなイメージで宣伝がなされた。
従来の抗がん剤(化学療法剤)は細胞毒であり、全身の細胞、特に血液系細胞を減らす害(副作用)が強かったのに対して、イレッサは血液系への影響が少なかったことから、害が少ないと主張され、「夢の新薬」のようにマスメディアも取り上げられ、2002年9月から保険診療での使用が始まった。
イレッサは体内にある上皮成長因子(EGF)が作用する受容体(EGFR)の働きを抑制する。このEGFRは、がん細胞だけではなく、体のほぼあらゆる細胞にあり、老化したり傷ついた細胞を新しい細胞で置き換えるためになくてはならない受容体である[5-(1)]。
宣伝文句とは裏腹に、従来の抗がん剤よりも、正常細胞の働きや増殖がより広範囲に妨害されることが、その作用機序から当然予想され、急性の肺傷害もあったがあまり注目されず、間質性肺炎を生じて死亡する害だけが特に問題視された。
私は、死亡報告が相次いだ2002年10月に資料を取り寄せて分析した。インターネットでも公開されている申請資料概要に記載された動物実験や臨床試験の報告で、危険な兆候は随所にあることがすぐに分かった。また、使い始めて間もなくの報告例の中には、使用開始後極めて短時間で死亡した例も報告されていた。これらのことから、承認・発売すべきでなかった、と判断した。ちょうど当時、医薬品の審査部門を独立行政法人に移管するための法案を審議していた国会で参考人として呼ばれた機会に、イレッサの審査を例に、企業の人物を受け入れる機構で、医薬品の厳正な審査は困難になるとの意見を述べた[7]。
その後も、さまざまなデータが明らかになってきたが、最初に解析して出した結論[8,9]は、現在でも、基本は変わらない。むしろその後のデータは私の当初の主張を裏付けるものばかりである。
医学的見地から検討に必要な追加データの開示を2002年12月、メーカーに求めたが拒否された[10]。そこで情報公開法を用いて、国に対して情報開示を求めた。しかし、知的財産の保護の名目で国は開示を拒否した[11]。
イレッサ薬害裁判の過程で、原告らは、動物実験データや有害事象症例データを証拠として提出するようにメーカーら被告に対して求めたが、拒否し続けていた。しかし、データを提出しないのはおかしいではないか、とマスメディアも気付き始めた矢先の2005年3月1日、それまで公開を渋ってきた情報の一部であるが、動物実験データを、ア社は自身のホームページ上に公開した(この時点でも臨床試験データは未公開)[12]。
やっと公開された動物実験結果を見始めたところ、2〜3時間も経たないうちに、実験開始10日目に異常死した動物(イヌ)がいたことが見つかった。臨床用量の2倍にも足りない量で、肺が虚脱して死亡していた[12]。
ところが、このイヌの肺虚脱を慢性肺炎として、イレッサと関連のある肺病変はなかったとメーカーは判断し、申請資料概要にも載せず、臨床試験の担当医にも報告せず臨床試験が続けられた。
鼻や口から取り入れた空気は、肺の末端の肺胞で毛細血管との間で酸素と炭酸ガスを交換する。通常、細菌による肺炎は肺胞内に炎症が起きる。一方、肺胞と肺胞の間には、毛細血管や結合組織で満たされた「間質」と呼ばれる部分がある。何らかの原因で肺胞細胞が傷害され、サーファクタントという界面活性物質ができにくくなると、肺胞を膨らませられなくなり、間質が目立つ状態になるため間質性肺炎と呼ばれる状態になる。
実際、イレッサの開発が進む前1995年に発表された実験では、イレッサの攻撃目標であるEGFRを持たないラットが、生後最長8日目までしか生きられなかった。肺が膨らまず虚脱して呼吸できずに死亡したのである[5-(2)]。
動物実験データの公開後も臨床試験データは未公開がしばらく続いたが、第三者の検証を経て裁判所の命令で2008年5月に、一部の開示がようやく実現した[5-(2)]。
裁判所の命令で開示された資料の検討をイレッサ弁護団から依頼されて私は分析した。その結果、承認の根拠となった臨床試験で、イレッサ開始当日に呼吸ができなくなり数日で死亡した人のほか、6日以内に呼吸困難が生じ4日〜3週間以内に死亡した電撃例が少なくとも8人いた[5-(2)]。
しかし、治験医の判定では、これら電撃例はすべてイレッサと無関係と判定された。有害事象死亡全体では、その90%以上が「関係なし」と治験医は判定した。治験医が、薬剤(イレッサ)による「急性呼吸不全(acute respiratory insufficiency)、肺炎」の疑いとしていた例を、メーカーは、「治験医師が因果関係について判断できなかったため、規定によりアストラゼネカ社で因果関係ありと判断した」と、申請資料概要に記載していた。このほか、医師が「間質性肺炎」とした例を「肺臓炎」と書き換えられ、さらにこれが「肺炎」に書き換えられるという操作も行われていた[5-(2)]。
これらを含め、私の判定では、臨床試験終了30日以内までに死亡した123人中少なくとも34人(28%)は、おそらくイレッサによる死亡であった[5-(2)]。しかし、メーカーは2人だけを関連が否定できない死亡とし、害の少ない安全な飲み薬の抗がん剤として、世界で初めて、日本で承認された。
イレッサ薬害の和解動告に対して反対の意見を表明している日本肺癌学会を中心とする医療関連団体の中心的人物の中には、イレッサの承認前の治験を担当した医師が少なくない。これらの医師によって因果関係の大部分が否定されていた。
臨床試験では、ごく初期の段階から、呼吸困難を生じたり、血管内に血栓ができる害が多発した。私の分析では一般の薬剤と比べて200倍以上も血栓ができやすいという結果が得られた[5-(2)]。
出血しやすくなり、胸水や心のう(心臓を包む袋)も貯留しやすくなり、全身虚脱も起きていた。これらの不都合なこと(有害事象)はすべて、イレッサとは関連がありうるとしなければならなかった(承認前の時点でも、因果関係の判定ができなければ「関連は否定できない」とすべきであったし、現在では、因果関係を裏付ける知見が次々と知られており、ほぼ確実に関連があると私は考えている)[5-(2)〜(5)]。
しかし、ほとんどすべてが「関連なし」と片付けられ、臨床試験が進められた。日本のごく初期の試験で1日わずか50mg(常用量は1日250mg)を2週間余り使用して肝障害や重症の呼吸困難を生じた例は、因果関係なしと判定されたため追跡不要とされた(しかし実際は大いに関係がありうると考えられた)[5-(2)]。
2005年3月23日、NPO法人医薬ビジランスセンター(薬のチェック)として、厚生労働大臣あてに、要望書を提出した[13]。主な内容は、
であった。
その後、FDAは2005年6月、イレッサの新規患者への使用を中止する措置をとった[14]。この措置は、3月に当センターが提言した内容にほぼ沿った内容のものであった[14]。
2010年までに、イレッサの総死亡率への影響を調べたランダム化比較試験は合計10件あるが、イレッサが総死亡率を低下させることを証明できたものはない。むしろ1件では、プラセボよりも有意に死亡率が高まった[5-(2)(6)、15-17]。
他の臨床試験は、ランダム化比較試験といっても、最初に割り当てられたイレッサを途中で別の療法に変更し、その逆も行なわれた。
私が詳細に検討した結果では、変更される前のデータしか信頼できないと考えられた。信頼できるデータで検証すると、治療が変更される前の死亡者(イレッサ群約3600人中の死亡者約1000人)のうちイレッサで死亡したことになる人が、27%にも及んでいた[5-(6)、17]。
2010年6月、EGFRの遺伝子変異がある人の治療効果が大変よかった、との研究が発表されたと報道された[17]。
しかし、試験開始から10か月目頃まではレッサ群の死亡率が高い傾向があり、同年2月に発表された報告では10か月過ぎまでイレッサ群の死亡率が明らかに高かった。
治療法が変更される前の信頼できるデータについて2つの試験を合わせて検討したところ、イレッサによる死亡率が有意に高まり、死亡者の57%がイレッサによる死亡と判断できた[5-(6)、17]。
したがって、承認前の臨床試験結果の症例情報から少なくとも34人(死亡123人中28%)がイレッサによる死亡と判定できたことと、承認後の比較試験の解析で得られたイレッサ群の27%がイレッサによる死亡と判定できたことは、極めてよく一致していた[5-(6)、17]。
また、臨床試験で死亡した人の死亡前の症状は、開発前の動物実験で、EGFR欠損マウスに生じた呼吸困難や肺虚脱と同じであり、動物実験でイヌに生じた肺虚脱とも一致している[5-(1)(2)、17]。
したがって、市販後の害につながる動物実験データや臨床試験データが承認前にあり、そのデータ隠しも明らかになった。これは、物質としてのイレッサそのものの欠陥であり、添付文書に警告を書くことでは解決できない性質のものであった、したがって、承認そのものが不適切であったと、私は結論づけている。
こうした考えを意見書および証言で述べ、ア社および国の反対尋問に対して、全て答え、修正の必要は何もなかった。私の意見書や証言に対して、被告側証人として意見書を提出した福岡正博氏ら(治験を担当した中心人物)や、工藤翔二氏(間質性肺炎の専門家)などによる私に対する批判にも全て答え[5-(3)〜(5)]、考えを修正する必要はなかった。
私の意見を判決は採用せず、ことごとく否定したのは不可解である。今回の大阪地裁の判決は、医学的に大きく間違いを犯しており不当な判決である。
薬害防止の観点から、イレッサ薬害で判明した教訓は、以下のようなものであると私は考える。
イレッサについて、その開発段階から動物実験、治験段階、承認前後、市販後の臨床試験を医学的な面から系統的にみた結果、情報の出し方もさることながら、医学的にみて著しく欠陥のある方法で臨床試験が実施され、有効性と安全性が判断されていることが明らかになった。薬害を防止するためには、毒性試験や臨床試験の方法とともに、毒性所見や有害事象との因果関係の評価方法を根本的に考え直さないといけないと考える。
こうした医学的観点からの問題点を明確にしない限り、国の責任はあいまいになったまま終わるであろう。私はそのことを最も恐れる。